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リュティヒ作戦 : ミニ英和和英辞書
リュティヒ作戦[りゅてぃひさくせん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さく]
  1. (n,n-suf) a work 2. a harvest 
作戦 : [さくせん]
 【名詞】 1. military or naval operations 2. tactics 3. strategy 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 

リュティヒ作戦 : ウィキペディア日本語版
リュティヒ作戦[りゅてぃひさくせん]

リュティヒ作戦(リュティヒさくせん、、)とはノルマンディーの戦いの中で行われたドイツ軍の反攻作戦に与えられたコード名であり、1944年8月7日から13日にかけて、モルタン近郊にいたアメリカ軍との間で戦われた。(リュティヒ(Lüttich)はベルギーリエージュ(Liége)のドイツ語読み、ドイツは第一次世界大戦中の1914年8月の初めにそこで勝利を得た)この攻勢作戦は、ノルマンディーの戦いを記した英米の歴史書では、単にモルタンでの反撃として記録されている。
攻撃はアドルフ・ヒトラーによって命じられ、アメリカ第1軍コブラ作戦以降に獲得した地を取り返すとともに、コタンタン半島の付け根にあたるアヴランシュ地域の海岸に到達する事によって、ブルターニュ半島に進出していたアメリカ第3軍の部隊を孤立させることも目的にしていた。
ドイツ軍の主力は第XLVII装甲軍団であり、SS装甲師団1個半と、国防軍2個装甲師団から構成されていた。アメリカ軍第VII軍団に対する攻撃は、初期には成果を得たものの進撃はすぐに停止した。そして連合軍の航空機は攻撃部隊に大きな損害を与え、最終的に攻撃に参加した戦車の半数近くが失われた。モルタン近郊での戦闘はその後6日間続いたが、ドイツ軍の攻撃が始まったその日のうちにアメリカ軍は戦闘の主導権を取り返した。
ドイツ軍の現地指揮官がヒトラーに対して警告したように、攻撃の成功はほとんど期待できなかった。そして装甲予備戦力をノルマンディー戦線の西端に集中した事は悲惨な結果を招くことになる。南側面を包囲されるとともに戦線の東端が崩壊したため、ノルマンディにいたドイツ軍の多くはファレーズ・ポケットと呼ばれる大包囲に捕えられてしまった。

== 背景 ==
1944年7月26日、お互い決め手に欠ける6週間もの消耗戦の後、アメリカ軍第12軍集団司令官オマール・ブラッドリーはコブラ作戦を発動、連合軍はサン=ローでドイツ軍防衛線を突破した。ノルマンディーの戦線におけるドイツ軍の西半分は撃破され、8月1日、アメリカ軍はアヴランシュを占領、この占領により、マンシュにある無傷の橋の奪取し、アメリカ軍の攻撃は「峠を越えた」と表現された。そのため、ドイツ軍がコタンタン半島西側の海岸線を保持することができなくなり、アメリカ軍はブルターニュの東西両方向に軍を進めることが可能となった。その日、アメリカ第3軍(司令官ジョージ・パットン)も進撃を開始、橋に対するドイツ空軍の空爆にも関わらず、3日間でドイツ7個師団を押し切り、ブルターニュの港まで反撃無しに進んだ。
7月30日、イギリス第2軍はアメリカ軍の東側面を支援する作戦ブルーコート作戦を発動した。そのため、アメリカ軍の突破に対応するために西へ進んでいたドイツ軍の予備装甲部隊は、このイギリス軍の動きに対応することとなった。その頃、アメリカ軍はアヴァランシュの周りで進撃路を確保するために攻撃を続けており、ドイツ軍はヴィレで交差点を確保したが、第VII軍団(司令官ジョーゼフ・ロートン・コリンズ)は8月3日、モルタン(アヴランシュの南24km)を占領した。
その翌日、アメリカ第VIII軍団がブルターニュを通って西方向、ブレストロリアンの港の方へ進撃を続けていたが、ブラッドリーはパットンに第3軍の主力とともに、ドイツ軍の開いた側面とドイツ軍後方へ進撃するよう命令、アメリカ第XV軍団は翌日からの3日間で121km進撃し、8月7日までにル・マン(旧ドイツ第7軍の司令部所在地)を占領した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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