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リッチモンド・フレデリックスバーグ・アンド・ポトマック鉄道 : ミニ英和和英辞書
リッチモンド・フレデリックスバーグ・アンド・ポトマック鉄道[りっちもんど ふれでりっくすばーぐ あんど ぽとまっくてつどう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [てつ]
 【名詞】 1. iron 
鉄道 : [てつどう]
 【名詞】 1. railroad 

リッチモンド・フレデリックスバーグ・アンド・ポトマック鉄道 : ウィキペディア日本語版
リッチモンド・フレデリックスバーグ・アンド・ポトマック鉄道[りっちもんど ふれでりっくすばーぐ あんど ぽとまっくてつどう]

リッチモンド・フレデリックスバーグ・アンド・ポトマック鉄道(リッチモンド・フレデリックスバーグ・アンド・ポトマックてつどう、、報告記号はRFP)は、アメリカ合衆国でかつて、バージニア州リッチモンドワシントンD.C.を結ぶ鉄道を営業していた鉄道事業者である。1991年に合併によりCSXトランスポーテーションの一部となった。
リッチモンド・フレデリックスバーグ・アンド・ポトマック鉄道は、全長約113マイル(約180 km)の路線を持つ連絡鉄道で、「北と南を結ぶ」(Linking North & South) をスローガンとしていた〔Griffin, William E. Jr, Capital Cities Route, pages 2-3, TLC Publishing, 1994〕。会社が存在していた期間の大半において、リッチモンドにおいてチェサピーク・アンド・オハイオ鉄道アトランティック・コースト・ライン鉄道シーボード・エア・ライン鉄道と連絡していた。またアレクサンドリアおよびそこから線路使用権によりワシントンD.C.のユニオン駅において、ペンシルバニア鉄道ボルチモア・アンド・オハイオ鉄道サザン鉄道と連絡していた。またにおいてと接続し、においてもチェサピーク・アンド・オハイオ鉄道と接続していた。
== 歴史 ==

リッチモンド・フレデリックスバーグ・アンド・ポトマック鉄道は、リッチモンドから北へフレデリックスバーグを経由してポトマック川までの路線特許を1834年2月25日に取得した。リッチモンドからヘイゼル・ラン (Hazel Run) まで1836年に、フレデリックスバーグまでは1837年1月23日に開業し、ポトマック川沿いのまでの残りの区間は1842年9月30日に開業した。ワシントンD.C.へ結びボルチモア・アンド・オハイオ鉄道に連絡する汽船がワシントン・アンド・フレデリックスバーグ汽船 (Washington and Fredericksburg Steamboat Company) により運行され、のちにと改称し、1845年からはリッチモンド・フレデリックスバーグ・アンド・ポトマック鉄道の傘下に入った〔Griffin, William E. Jr, Capital Cities Route, pages 4-5, TLC Publishing, 1994〕。
1870年10月11日〔Griffin, William E. Jr, Capital Cities Route, page 6, TLC Publishing, 1994〕、会社の臨時株主総会において、までさらに北進することが承認された。会社の保有する路線特許はこの支線の全長を10マイルに限っており、アレクサンドリア・アンド・フレデリックスバーグ鉄道 (Alexandria and Fredericksburg Railroad) へつなぐには1.7マイル不足であった。この支線は既存路線からで分岐し、北へやはりポトマック川沿いにあるクアンティコまでを結んでいた。アキア・クリークの桟橋へ通じる旧線は、クアンティコの桟橋へ通じる路線が開通した1872年5月1日に廃止となった〔Griffin, William E. Jr, Capital Cities Route, page 7, TLC Publishing, 1994〕。
この路線の対岸では、アレクサンドリア・アンド・ワシントン鉄道 (Alexandria and Washington Railroad) が1854年2月27日にポトマック川に架かるの南端から南へアレクサンドリアまでの建設を行う路線特許を得た。この路線は1857年に開通した。1887年7月9日にこの鉄道は経営破綻し売却されて、1887年11月23日にアレクサンドリア・アンド・ワシントン鉄道 (Alexandria and Washington Railway) として再編された。1873年にの14番通り橋を通る支線が開通し、アレクサンドリア・アンド・ワシントン鉄道が取得した線路通行権によりワシントンD.C.までの経路が通じることになった。
アレクサンドリア・アンド・フレデリックスバーグ鉄道 (Alexandria and Fredericksburg Railway) は、路線をさらにアレクサンドリアからフレデリックスバーグまで延長するために1864年2月3日に路線特許を得た。この路線は1872年7月2日に開通し、リッチモンド・フレデリックスバーグ・アンド・ポトマック鉄道の北端であるクアンティコへ接近した。クアンティコでは、1.7マイル(約2.7 km)のポトマック鉄道 (Potomac Railroad) が1867年4月21日に特許を得て、1872年5月1日に開通して2つの鉄道を連絡した。この路線は1877年5月17日から28年間、リッチモンド・フレデリックスバーグ・アンド・ポトマック鉄道へリースされた。1890年3月31日、アレクサンドリアへ乗り入れる2社は合併してワシントン・サザン鉄道 (Washington Southern Railway) となった。1901年11月1日まで、この鉄道はボルチモア・アンド・ポトマック鉄道およびその後継のによって運営された。ポトマック鉄道のリースは1904年6月30日付でワシントン・サザン鉄道へ移管された。1920年2月24日、ワシントン・サザン鉄道は公式にリッチモンド・フレデリックスバーグ・アンド・ポトマック鉄道に合併された。
リッチモンド-ワシントンカンパニー (Richmond-Washington Company) は1901年9月5日にこれら2社の株式すべてを所有する持株会社として設立された。この会社の株式はペンシルバニア鉄道、ボルチモア・アンド・オハイオ鉄道、アトランティック・コースト・ライン鉄道、サザン鉄道、シーボード・エア・ライン鉄道、チェサピーク・アンド・オハイオ鉄道が等分で所有した。このうちの4社が現在のCSXトランスポーテーションになっていることから、リッチモンド・フレデリックスバーグ・アンド・ポトマック鉄道もCSXトランスポーテーションの一部となった。旧サザン鉄道は現在ノーフォーク・サザン鉄道の一部であり、旧リッチモンド・フレデリックスバーグ・アンド・ポトマック鉄道区間は使用していない。また旧ペンシルバニア鉄道はCSXトランスポーテーションとノーフォーク・サザン鉄道で分割されている。
1902年から1908年にかけて本線の主要部分が合計21マイル(約34 km)にわたって線路の移設が行われた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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