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ラウール=オージェ・フイエ : ミニ英和和英辞書
ラウール=オージェ・フイエ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ラウール=オージェ・フイエ : ウィキペディア日本語版
ラウール=オージェ・フイエ[ちょうおん]

ラウール=オージェ・フイエRaoul-Auger Feuillet、1660年頃 - 1710年6月14日)は、フランスの振付家、舞踊教師、著述家である。ピエール・ボーシャンが考案した舞踊の記譜法を改良し、記譜の手段として記号を導入した〔『オックスフォード バレエダンス辞典』431頁。〕〔 国立音楽大学第21回研究発表会資料展 2005.11.11 2012年3月8日閲覧。〕。ボーシャンとフイエによる舞踊の記譜法は、「ボーシャン=フイエ記譜法」(:en:Beauchamp-Feuillet notation)と呼ばれる。1700年に出版された『コレオグラフィ、あるいは人物・図形・指示記号による舞踊記述法』(''Chorégraphie, ou L'art de décrire la dance par caracteres, figures et signes desmonstratifs'')は早くから他の言語に翻訳され、18世紀の舞踊技術に関する文献で最も重視されるものの1つである〔『バレエの歴史』66頁。〕。
== 生涯 ==

パリボールルーム・ダンスの教師を務めていたが、1700年にボーシャンの考案していた記譜法の改良を手がけて『コレオグラフィ、あるいは人物・図形・指示記号による舞踊記述法』を出版した〔〔〔18世紀フランスの部屋 2012年3月8日閲覧。〕〔『バレエの歴史』では、出版年を「1701年」としている。〕。フイエの記譜法は、舞踊の記譜に記号を用いた最古の例とされる〔。しかし、1704年にボーシャンは「自分の考案した記譜法を剽窃した」と訴訟を起こした〔〔。ボーシャンの主張は、フイエより22年前に自分が記譜法を考案していたというものであった。確かにフィエはボーシャンの考案した記譜法から多くの部分を引用していたが、そのことに触れていないという落ち度があった〔〔。この訴訟沙汰については、翌年にボーシャンが死去したことによりうやむやに終わっている〔。
その後のフイエは記譜法の改良を試み、さらに洗練させていった。彼は自ら振り付けた作品を記譜して出版した。パリ・オペラ座でボーシャンの後を継いで1687年からバレエ・マスターを務めていた (1653年8月10日 - 1729年4月12日)は、フイエと組んでいくつかの自作品を記譜した〔『オックスフォード バレエダンス辞典』479-480頁。〕。ただし、フイエ自身は生涯オペラ座には所属しなかった〔。
『コレオグラフィ、あるいは人物・図形・指示記号による舞踊記述法』は、イギリスのダンサー兼振付家のジョン・ウィーヴァー(:en:John Weaver、1673年7月21日 - 1760年9月24日)が、『''Orchesography. Or the Art of Dancing''』という題名で翻訳を手がけた〔Orchesography. Or the Art of Dancing 2012年3月8日閲覧。 〕〔『バレエの歴史』98頁。〕。P・シリスもこの著作を『''The Art of Dancing Demonstrated in Characters and Figures''』の題名で翻訳している〔。ウィーヴァーとシリスの翻訳したフイエのこの著作は、両方とも1706年に出版された〔。ウィーヴァーは1704年の著作『''Recŭeil de dances''』を、『''A Small Treatise of Time and Cadence in Dancing''』の題名で1706年に翻訳した〔A Small Treatice of Time and Cadence in Dancing 2012年3月8日閲覧。〕。フイエがイギリスのコントルダンスについて記録した『''Recŭeil de contredances''』は、同国のダンサー兼振付家ジョン・エセックス(:en:John Essex、1680年頃 - 1744年)が1710年に『''For the Furthur Improvement of Dancing''』という題名で翻訳している〔
Recŭeil de contredances 2012年3月8日閲覧。〕〔For the Furthur Improvement of Dancing 2012年3月8日閲覧。〕。 

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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