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パリ国立オペラ : ミニ英和和英辞書
パリ国立オペラ[ぱりこくりつおぺら]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [くに]
 【名詞】 1. country 
国立 : [こくりつ]
 【名詞】 1. national 

パリ国立オペラ : ウィキペディア日本語版
パリ国立オペラ[ぱりこくりつおぺら]

パリ国立オペラOpéra national de Paris)は、フランスを代表するオペラバレエ団体である。文化省が管轄する『商工業的性格の公共機関』(Établissement public industriel et commercial français)の一つで、過去・現在のオペラとバレエ作品の紹介を使命としている。主にパリガルニエ宮オペラ・バスティーユで公演している。この団体を指してオペラ座と呼ぶこともある。
後進育成の教育施設を持ち、また、青少年のための催しを毎シーズン開く。
2004年からジェラール・モルティエが総裁に就任している。
== 歴史 ==
『パリ国立オペラ』とは、パリの『国立オペラバレエ劇団』の、1994年以降の名前である。みなもとは、下記『劇団名の変遷』の項にある『音楽アカデミー』で、それは、作曲家ロベール・カンベール(Robert Cambert)と組んで宮廷用オペラを作っていた詩人ピエール・ペラン(Pierre Perrin)の請願が、財務総監コルベールの仲立ちで、ルイ14世に認められ、1669年に設立された。
その後、『王立』、『帝国立』を冠したことも、単に『オペラ』と呼んだときもある。その『オペラ座』または『パリ・オペラ座』の呼称がいつごろから広まったかは、明らかにできないが、1875年開場のガルニエ宮の所在地は、『オペラ広場』で、1878年敷設の、ガルニエ宮コメディ・フランセーズとを直に結ぶ街路は、『オペラ大通り』である。日本のある仏和辞典は『opéra:歌劇、歌劇場』、『Opéra:パリのオペラ座』と書いている。
劇団が本拠とする劇場も《世界初演とそのときの劇場》にあるように移り変わった。
1672年イタリア生まれのジャン・バティスト・リュリがペランとカンベールを逐い、多くの自作を公演した。しかし、後継の親族らの経営は低迷し、1733年以降のラモーのオペラは評判を呼んだが、赤字は積もった。
フランス革命の10年ほど前には、ドイツグルックイタリアピッチンニのオペラが、競り合った。革命期には、迎合的な作品も上演された。経営者が次々と代わり、ナポレオン政府の1807年の経済的措置でようやく救われた。
1821年からの11代目の劇場サル・ル・ペルティエでは、まずパリに滞在中のイタリアロッシーニが活躍した。ドイツのマイヤベーア、イタリアのドニゼッティもパリに住んでオペラを書いた。初演ではないが、ワーグナーは、『タンホイザー』のオペラ座公演(1861年3月13日)のため、パリ人が好きなバレエを書き加えた(「パリ版」と呼ばれる)。
1880年3月22日には、ヴェルディが、ガルニエ宮で『アイーダ』の棒を振った。
300余年前の発足時から、この劇団は、内外の多くのオペラとバレエとを舞台にかけ、諸国の指揮者・歌手・演奏家・舞踊家・管弦楽団・歌劇団・バレエ団などを広く招き、世界的な歌劇団としての役割を果たしてきた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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