翻訳と辞書
Words near each other
・ ヨーギー
・ ヨーク
・ ヨーク (イングランド)
・ ヨーク (オンタリオ州)
・ ヨーク (サウスカロライナ州)
・ ヨーク (ペンシルベニア州)
・ ヨーク (メイン州)
・ ヨーク (戦列艦・4代)
・ ヨーク (衣服)
・ ヨーク (重巡洋艦)
ヨークのアルクィン
・ ヨークの戦い
・ ヨークカレッジ
・ ヨークシャテリア
・ ヨークシャ・テリア
・ ヨークシャー
・ ヨークシャーの悲劇
・ ヨークシャーオークス
・ ヨークシャーテリア
・ ヨークシャープディング


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ヨークのアルクィン : ミニ英和和英辞書
ヨークのアルクィン[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ヨークのアルクィン ( リダイレクト:アルクィン ) : ウィキペディア日本語版
アルクィン[ちょうおん]

アルクィンAlcuin735年? - 804年5月19日)はイングランドブリテン島ヨーク出身の修道士神学者。長年ヨークにある学校の教師として勤めたのち、カール大帝フランク王国の教会制度と教育制度の相談役を務めた。769年からはトゥールの司教となり、聖マルティヌス(サン・マルタン)修道院院長で、カロリング朝ルネサンスを代表する人物である〔カロリング朝ルネサンスは主に3つの期間に分けられる。第1期は、宮廷にアルクィンが到来するまでの、イタリア人が枢要な地位を占めた期間。第2期は、アルクィンおよびアングロ・サクソン人が支配的な期間。第3期は、804年から始まる西ゴート族のテオドゥルフ(Theodulf)の影響が優勢だった期間である。〕。
== 略歴 ==
アルクィンはアングロ・サクソン人宣教師聖ウィリブロルドと関係があった。
ヨークの大聖堂学校(cathedral school)でエゼルバート(ethelbert ? - 780年?)のもと、教育を受けた(アルクィンはエゼルバートと写本を探すためにローマを訪れている)。エセルバートが766年ヨーク大司教叙階叙任)されたとき、彼は司教養成学校(episcopal school)の校長に就任した。彼は780年にヨークの大司教イアンバルド1世(Eanbald I)を訪れ、大司教としての権威を象徴する祭服であるパリウムを取りに再びローマに行った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アルクィン」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Alcuin 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.