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ユーリー・ラストヴォロフ : ミニ英和和英辞書
ユーリー・ラストヴォロフ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ユーリー・ラストヴォロフ : ウィキペディア日本語版
ユーリー・ラストヴォロフ[ちょうおん]
ユーリー・ラストヴォロフ(、1921年 - )は、ソ連の職業的諜報員、軍人、チェキスト。中佐。
== 経歴 ==
クルスク州ドミトリエフカ町出身。父は赤軍の将校で、母は医師だった。軍人の家庭に育ったため、幼い頃から国中を回った。父方の祖父は富農であった。この為、父方の祖父は革命後、迫害を受け、悲惨な死を遂げたと言われている。(この祖父の運命が、ラストボロフのアメリカ亡命の遠因だったとする見方がある。(三宅正樹))
独ソ戦勃発後、当時モスクワのタガンスキー地区政治委員だった父の陳情で、前線ではなく、内務人民委員部(NKVD)に入り、特殊学校で日本語を学んだ。日本語を学ぶのは嫌だったが、祖父の事があり、指示に従って学んだと言う。特殊学校卒業後、対外諜報部に入り、ソ連対日参戦のための諜報情報の収集・分析に従事した。
日本降伏後の1946年初め、ラストヴォロフは、日本を占領する連合国のソ連代表団の一員という外交カバーの下で東京に派遣された。ラストヴォロフは、シベリア抑留者からエージェント(日本側から見ると、スパイ)を選抜する秘密委員会に入り、少なからない元将校、官僚・政治家の親族の徴募に成功したとされる。
1950年までに日本兵捕虜の多くが帰国し、エージェントを活用する機会が現れた。しかし、当時の日本はまだアメリカとイギリスを中心とした連合国軍占領下で、特に中央政府はアメリカにより完全にコントロールされ、手柄を立てる可能性がなかったため、当時のソ連諜報部では日本派遣は一種の左遷と考えられていた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ユーリー・ラストヴォロフ」の詳細全文を読む




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