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ヤンコ・ティプサレビッチ : ウィキペディア日本語版
ヤンコ・ティプサレビッチ

ヤンコ・ティプサレビッチJanko Tipsarević, , セルビア語発音:  ,1984年6月22日 - )は、セルビアベオグラード出身の男子プロテニス選手。男子テニス国別対抗戦・デビスカップでは長い代表経歴を持ち、2010年にセルビア・チームを初優勝に導いた。これまでにATPツアーでシングルス4勝、ダブルス1勝を挙げている。自己最高ランキングはシングルス8位、ダブルス46位。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
== 選手経歴 ==
ティプサレビッチは6歳からテニスを始め、8歳の時から「ニュー・ベオグラード・テニスクラブ」で練習するようになった。彼は2000年からデビスカップユーゴスラビア代表選手になったが、当時のユーゴスラビアは「ユーロアフリカン・ゾーン」の「グループ3」にいた。(デビスカップの仕組み:世界最上位の「ワールドグループ」16ヶ国を除く参加国は、地域別に「アメリカン・ゾーン」「アジア・オセアニアゾーン」「ユーロアフリカン・ゾーン」に分かれ、各ゾーンごとに4つのグループに分かれている。)ユーゴスラビア・チームは2003年に解体し、ティプサレビッチは2004年から「セルビア・モンテネグロ」チームの一員になった。セルビア・モンテネグロが2006年に分離したため、このチーム名は3年間のみであったが、その間にレベルを著しく上げる。2004年まではユーロアフリカン・ゾーンの「グループ2」にいたチームは、2005年から同ゾーンの「グループ1」に昇格し、2006年に初めて「ワールドグループ・プレーオフ」進出を果たした。9月22日-24日に行われたプレーオフで、セルビア・モンテネグロはスイスに1勝4敗で敗れ、ティプサレビッチも第1試合でロジャー・フェデラーに敗れたが、ノバク・ジョコビッチが第2試合でチーム唯一の勝利を挙げている。2007年9月にベオグラードで行われたワールドグループ・プレーオフで、新チームとなったセルビアオーストラリアを「4勝1敗」で破り、このチームでワールドグループ初進出を決めた。2010年には準決勝でチェコ、決勝でフランスを破りセルビアは悲願の初優勝を果たした。
ティプサレビッチは2001年全豪オープンでジュニア男子シングルス優勝者となり、2003年全米オープン4大大会本戦に初出場した。グランドスラムのデビュー戦では、1回戦で当年度のウィンブルドン準優勝者マーク・フィリプーシスオーストラリア)に敗れた。2005年ウィンブルドントーマス・ヨハンソンスウェーデン)との3回戦に進出。2年後のウィンブルドンで、ティプサレビッチは3回戦で当年度の全豪オープン準優勝者フェルナンド・ゴンサレスチリ)を 6-3, 3-6, 6-3, 4-6, 8-6 で破る勝利を挙げた後、続く4回戦でフアン・カルロス・フェレーロスペイン)に 5-7, 3-6, 6-7 で敗れた。
2008年全豪オープンの3回戦で、ヤンコ・ティプサレビッチは第1シードのロジャー・フェデラーに 7-6, 6-7, 7-5, 1-6, 8-10 (試合時間:4時間27分)の戦いを挑んだ。4年間世界ランキング1位を守ってきた王者から第1・第3セットを先取した挑戦者は、最終第5セットでも長い戦いを続けたが、第5セット・第17ゲームを落として力尽きた。この年はウィンブルドンでも2年連続2度目の4回戦に進み、ライナー・シュットラードイツ2003年全豪オープン準優勝者)に 4-6, 6-3, 4-6, 6-7 で敗れた。
2009年モスクワ大会でティプサレビッチは初めてツアー決勝に進出したが、ミハイル・ユージニーロシア)に 7–6(5), 0–6, 4–6 で敗れた。2010年スヘルトーヘンボス大会で2度目の決勝進出を果たしたが、セルジー・スタホフスキーウクライナ)に 3–6, 0–6 で敗れた。
2011年2月のデルレイビーチ大会で3度目の決勝に進出したが、フアン・マルティン・デル・ポトロに 4–6, 4–6 で敗れ3度目の準優勝となった。6月のイーストボーン大会でツアー4度目の決勝に進出したが、アンドレアス・セッピイタリア)との試合中で負傷し途中棄権した。全米オープンでは4大大会初のベスト8進出を果たしたが、セルビア対決となった準々決勝のノバク・ジョコビッチとの試合を途中棄権した。9月のクアラルンプール大会の決勝でマルコス・バグダティスキプロス)に 6–4, 7–5 で勝利して、ティプサレビッチは5度目の決勝で悲願の初優勝を果たした。10月のモスクワ大会では男女を通して初めてのセルビア人同士による決勝対決となり、ビクトル・トロイツキを 6–4, 6–2 で破りツアー2勝目を挙げた。怪我で大会を途中棄権したアンディ・マリーの代役として、ATPワールドツアー・ファイナルに初出場を果たし、トマーシュ・ベルディハには 6-2, 3-6, 6-7(6) で敗れたが、世界ランキング1位のノバク・ジョコビッチを 3-6, 6-3, 6-3 で破る殊勲を挙げた。2011年最終ランキングは9位となりトップ10入りを果たした。
2012年のロンドン五輪で2度目のオリンピックに出場した。シングルスでは3回戦でアメリカジョン・イスナーに 5-7, 6-7(4) で敗れた。ネナド・ジモニッチと組んだダブルスではベスト8に進出し、準々決勝でフランスジュリアン・ベネトー&リシャール・ガスケ組に 4-6, 6-7(3) で敗れた。全米オープンでは2年連続でベスト8に進出し、準々決勝でダビド・フェレールに 3-6, 7-6(5), 6-2, 3-6, 6-7(4) (試合時間:4時間31分)のフルセットで敗れた。ラファエル・ナダルが欠場したことでATPワールドツアー・ファイナルに2年連続で出場したがラウンドロビンで3連敗して敗退した。
ティプサレビッチはダブルスの分野でも、同じセルビアのビクトル・トロイツキと組んで成績を伸ばし、2008年全仏オープンの男子ダブルスでベスト8進出がある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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