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ヤナゲン : ミニ英和和英辞書
ヤナゲン
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ヤナゲン : ウィキペディア日本語版
ヤナゲン

株式会社ヤナゲンは、岐阜県大垣市にある日本の百貨店である。
== 歴史・概要 ==
1910年(明治43年)3月柳源呉服店を開業し、1951年(昭和26年)に法人化。
1961年(昭和36年)12月にJR 大垣駅に大垣市高屋町1丁目〔“ヤナゲンが「大垣本店」を大幅改装しあすリニューアルオープン”. 中部経済新聞(中部経済新聞社). (2011年7月29日)〕にヤナゲン大垣本店として百貨店を開業すると、1970年(昭和45年)にはB館をオープンして増床するほどの集客力を見せ〔“連載:濃飛まち紀行 大垣駅前商店街(大垣市)”. 読売新聞(読売新聞社). (2002年4月9日)〕、グランドタマコシと共に家族連れや学生、周辺にある紡績工場の女子工員たちが集まる大垣駅前を代表する百貨店となってピーク時にはA・B・Cの3館体制になり〔、仕掛け時計や観覧車のある屋上遊園地は子供達に人気を博した〔。
また、1974年(昭和49年)には岐阜県本巣郡穂積町(現在の瑞穂市)稲里に岐大ホームセンター〔“ヤナゲンFAL店跡地に商業施設 他社に土地転貸”. 岐阜新聞(岐阜新聞社). (2011年7月21日)〕、スーパーマーケットでは1976年(昭和51年)12月養老町に養老店〔“平和堂養老店がきょう閉店 33年の歴史に幕”. 中日新聞(中日新聞社). (2010年1月20日)〕、1977年(昭和52年)12月に大垣市に寺内店〔、1992年(平成4年)8月に大垣市にノースウエストショッピングセンターを開業〔するなど多角化・多店舗化を進め、1995年(平成7年)には大垣市を中心とする岐阜県下に百貨店・総合スーパー食品スーパーホームセンターコンビニエンスストアなどを展開する総合小売企業に成長した〔“中部食品流通特集 ヤナゲン・浅野弘嗣副社長に聞く 得意分野の生鮮より強化”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1995年9月30日)〕。
1997年(平成9年)3月1日にヤナゲンストアーを設立してスーパーマーケット事業を分社化し〔“ヤナゲン、新社長に浅野弘氏内定”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1997年2月7日)〕、売上高約175億円(1996年(平成8年)度)で従業員数350人、店舗数15店舗という規模で発足させた〔“ヤナゲン、SSM「ハッピー鶴見店」新設届出”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1997年12月5日)〕。
1999年(平成11年)には岐大ホームセンターを家具や生活雑貨を扱う「FAL店」としてリニューアル〔“ヤナゲンFAL、今夏にも移転 大垣のアル・プラザに”. 岐阜新聞(岐阜新聞社). (2011年5月18日)〕するなどして環境変化に対応したが、2000年(平成12年)2月期の決算で売り上げ不振と商品在庫の再評価を行ったことで11億円の当期赤字となって債務超過に陥り、創業家の浅野千恵子会長・浅野弘嗣社長などの経営陣が退任し、メインバンク大垣共立銀行から田中社長を迎えて銀行主導で再建に乗り出した〔“ヤナゲン新社長に田中完氏”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2000年5月26日)〕。
銀行管理下での再建に入ったため、2000年(平成12年)9月には同じ岐阜県を本拠地とするスーパーマーケットのバローとの間でヤナゲンストアの店舗の売買交渉を行っているという報道がされた〔“バローとヤナゲンの両社間でヤナゲンストアの店舗売買交渉説が流れる!”. タイハン特報(大量販売新聞社). (2000年9月4日)〕が実現せず、その後も郊外型大型店との競合で業績不振が続いた為、2005年(平成17年)5月31日平和堂と業務提携を行い〔“平和堂、ヤナゲンと業務提携”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2005年6月6日)〕、同年7月11日に平和堂が買収して事業を引継ぐことを発表し〔“平和堂、中堅百貨店・スーパーのヤナゲン(本社・岐阜)を買収”.日本経済新聞(日本経済新聞社). (2005年7月12日)〕、同年9月1日から100%子会社として新設された株式会社ヤナゲン2店と株式会社ヤナゲンストアー7店が営業を開始した〔“平和堂、ヤナゲンから事業譲渡 SM7店・百貨店2店”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2005年7月15日)〕。
平和堂傘下に入った後の株式会社ヤナゲン2006年(平成18年)3月3日に大垣本店のC館を閉鎖して返却し、売場面積を約7,000m²縮小して約15,000m²のA・B2館とする改装を行って売場の廃止・集約化を進めて効率化を図る一方で、デパ地下の食品売場の高級化や婦人雑貨売場の2倍への拡張といったてこ入れを行った〔が業績は好転せず2010年(平成22年)2月期まで赤字が続いた〔“ヤナゲンが平和堂傘下で赤字継続の厳しい経営”. 中部経済新聞(中部経済新聞社). (2009年10月8日)〕。
その為2011年(平成23年)7月30日〔には平和堂本体の仕入れ網を活用して〔“「トップ登板」ヤナゲン社長 小山秀雄氏”. 中部経済新聞(中部経済新聞社). (2010年3月30日)〕家電や家庭用品などの日常生活に使う商品の拡充を行う〔と共に周囲の商店街との協力や催事を行って集客しながら売上の約4割を占める外商を強化し〔、「地元の人に普段使いしてもらう百貨店」になることで存続を目指し〔、また、2011年(平成23年)7月20日は施設の老朽化を理由に従来のFAL店を閉鎖し〔、親会社の平和堂のショッピングセンターアル・プラザ鶴見内に出店しているセレクトショップを拡充してFAL店とし〔、事実上大垣本店のみの営業に縮小するなどの対応を行った結果2012年(平成24年)2月期に僅かながら経常黒字に転換した〔“ヤナゲンが通期経常黒字を達成”. 中部経済新聞(中部経済新聞社). (2012年3月23日)〕。
なお、株式会社ヤナゲンストアー7店は当初はそのままの名称で営業〔していたが、2006年(平成18年)7月に平和堂東海吸収合併されて消滅し、平和堂の店舗となった為、株式会社ヤナゲンのみがヤナゲンの名称を引き続き使用している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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