翻訳と辞書
Words near each other
・ 屋上ミサイル〜謎のメッセージ
・ 屋上ミサイルシリーズ
・ 屋上姫
・ 屋上屋を架す
・ 屋上庭園
・ 屋上探偵
・ 屋上探偵 - オクタン -
・ 屋上架屋
・ 屋上緑化
・ 屋上自衛隊
屋上遊園地
・ 屋上部屋の猫
・ 屋主忍男武雄心命
・ 屋乃波比伎神
・ 屋久島
・ 屋久島 (列車)
・ 屋久島 (小惑星)
・ 屋久島おおぞら高校
・ 屋久島おおぞら高等学校
・ 屋久島スギ原始林


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

屋上遊園地 : ミニ英和和英辞書
屋上遊園地[おくじょうゆうえんち]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

屋上 : [おくじょう]
 【名詞】 1. rooftop 
: [じょう]
 (n,pref,suf) 1. first volume 2. superior quality 3. governmental 4. imperial 5. top 6. best 7. high class 8. going up 9. presenting 10. showing 1 1. aboard a ship or vehicle 12. from the standpoint of 13. as a matter of (fact) 13. superior
遊園地 : [ゆうえんち]
 【名詞】 1. amusement park 
: [その]
  1. (n,n-suf) garden (esp. man-made) 2. park 3. plantation 
: [ち]
  1. (n,n-suf) earth 

屋上遊園地 : ウィキペディア日本語版
屋上遊園地[おくじょうゆうえんち]
屋上遊園地(おくじょうゆうえんち)とは、主としてデパートの屋上にある遊戯施設を指す。昭和30年代初めより昭和40年代半ばにかけてが絶頂期であった。
== 歴史 ==

=== 戦前・戦中 ===
日本における店舗内遊戯施設の起こりは、1903年(明治36年)に日本橋白木屋呉服店(後の東急百貨店日本橋店、現在跡地はコレド日本橋)内でシーソー木馬など遊戯室を設置したのが始まりである。1907年(明治40年)には、日本橋三越空中庭園と銘打った屋上庭園を開園し、約60坪程度の敷地には噴水植物(藤棚、盆栽)、廻転パノラマ望遠鏡などを備えた。ただしこれはいわゆる山の手在住の人々の利用が一般的であった。同年には松屋神田店(神田鍛冶町)が屋上遊覧所を設ける。1912年(大正元年)になると、大丸京都店がローラースケート場や音楽堂を屋上へ設置。その後は、1923年(大正13年)に開店した松坂屋銀座店屋上にライオンを始めとする動物園を開園した。
常設による日本初の屋上遊園地は、日本娯楽機製作所(現・ニチゴ)が1929年(昭和4年)に日本初の自動木馬を開発(宝塚新温泉への納入実績により)したことから、1931年(昭和6年)11月に開店した松屋浅草店に設けられた。日本娯楽機製作所社長の遠藤嘉一は、設計技師と話し合って「スポーツランド」と命名する。これはその後の「○○ランド」のはしりとなった。
開園にあたって、当時世界一の規模を誇っていたアメリカコニーアイランドの遊園地とドイツハーゲンベック動物園を参考とし、小動物園、自動木馬、そして8人乗りロープウェイの「航空艇」を設置した。屋上両端を往復する、銀色の流線型ボディの航空艇は、眼下に隅田川が見渡せるとあって名物となる(当初の計画では、隅田川を越えて対岸から折り返し運転する予定だったが、許可が下りず断念した)。その他ではローラースケートやボウリング、パネルに得点などが表示されるシステムの固定設置である自転車競走とボートレース競技、2人がかりで操作する競馬機、半弓射撃機、自動キネマ、パチンコで菓子が出てくる遊技機などが揃っていた。
松屋浅草店開店時の新聞広告では「松屋七階に大スポーツランド出現」と大々的な告知がされた。それは同じ下町でも、主に山の手層が利用する日本橋と銀座、そして既に一大ターミナル駅となっていた新宿のデパートとは異なり、庶民層の利用が多い浅草を意識した戦略だった。その松屋浅草店の威容は、周辺に高い建物がなかった当時では一際抜きん出た存在で周囲を圧倒していた。
連日大盛況だったスポーツランドだが、傍観する者がほとんどで実際に遊ぶ者は少なかった。そんな状況が2か月続いた事から、日本娯楽機械製作所社長の遠藤はプランを練り直し、豆汽車、豆自動車、コーヒーカップ、人力で押して回る象乗り機など、親子共々で遊べる遊具に変更し、大当たりし始める。中でも、板金製のボディに車のパーツを使用した豆自動車は時速15キロほどのスピードが出ることから人気が高く、専属係員を約20名要するほどの過熱ぶりであった。
日本娯楽機械製作所が発行した1935年(昭和10年)頃のカタログによれば、伊勢丹上野銀座松坂屋を始めとして、北は北海道から南は九州のデパート、さらには満州へ遊具の納入が及ぶほど勢いづき、そのカタログには前述の遊具以外にも様々な種類が存在した。しかし、そんな好況も第二次世界大戦太平洋戦争)が始まるにつれ、戦時下の国家統制によって日本全国の遊園地や遊技場は次々と閉鎖。松屋浅草店の航空艇はもちろんのこと金属類は全て供出され、木材へ至っては銭湯の焚き付けへと姿を変えた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「屋上遊園地」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.