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モーリス・リシャール : ミニ英和和英辞書
モーリス・リシャール[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

モーリス・リシャール : ウィキペディア日本語版
モーリス・リシャール[ちょうおん]

モーリス・リシャールJoseph-Henri-Maurice Richard1921年8月4日 - 2000年5月27日)はカナダケベック州モントリオール生まれのプロ・アイスホッケー選手で、NHLでは、1942年から1960年までモントリオール・カナディアンズで右ウイングを務めた。愛称はロケット・リシャールオーダー・オブ・カナダ、ナショナル・オーダー・オブ・ケベック受勲者。カナダ枢密院顧問。
モーリス・リシャールは、プロホッケー選手として卓越した技量を誇ったことは勿論のことだが、単なるスポーツ競技のスターの枠を超え、本人の意思とは無関係に典型的なケベック人フランス系カナダ人の象徴、英雄のイメージが一人歩きした特異な人物と評価される。
アイスホッケー選手の誰が最も偉大であるかについては、時代によるリーグの変遷、論者の好み、評価の尺度の違いによって結論が出ることはないが、その存在が社会に与えたインパクトを考慮すると、リシャール抜きにはその話題は語れないと言われている。
== 来歴 ==
モーリス・リシャールはモントリオールのボルドー (Bordeaux) 地区で育ち、いくつかのジュニアチームで腕を磨いた。1942年10月29日にフリーエージェントでNHLのモントリオール・カナディアンズに加入し、同シーズンは12月27日に踵の骨折をしたものの、16試合で5ゴールとまずまずのスタートを切った。翌シーズンはフル出場をし、46試合32ゴールの好成績を残す。
リシャールは、1944-1945シーズンにおいてNHL史上初となる開幕から50試合以内でシーズン50ゴール以上を達成した。このリシャールの残した金字塔「50 goals in 50 games」は、後々もNHLのポイントゲッター達の得点能力を測定する一つのバロメーターの役割を果たしている。ちなみに、リシャール以降この偉業を達成したのは、公式には1981年マイク・ボッシー1982年1984年1985年ウェイン・グレツキー1989年マリオ・ルミュー1991年1992年ブレット・ハルのみである(2005年現在。)また、生涯成績で500ゴール以上を達成した初のNHL選手にもなった。
リシャールは、カナディアンズで8回のスタンレー・カップ優勝経験を持つほか、NHLオールスター戦においては第1チーム選抜連続8度、第2チーム選抜6度、そして1947年から1959年まで13年連続出場の記録を持つ。
カナディアンズでリシャールがセンターの Elmer Lach 及び左ウイングのヘクター・ブレイク (Hector Blake)と組んだラインは「パンチ・ライン」として名高い。生涯成績では978試合に出場し、544ゴール、421アシスト、965ポイントを獲得している。
プレーオフでの勝負強さでも知られ、延べ82試合に出場し18試合で決勝ゴールを上げたほか、ハットトリック(及びそれ以上の得点を上げた試合)が6度ある。とりわけ1944年3月23日には一日がかりで引越しを済ませたその夜のゲーム、トロント・メープルリーフス戦で5ゴールを上げ、その試合の第1から第3スターを独占した。また、1952年のスタンレー・カップ準決勝戦では、序盤に怪我で意識を失うが、第3ピリオドに復帰すると顔面に血を滴らせながら(一説では、意識半ばであったとも伝えられる。)、決勝のゴールをあげた。この試合で示したガッツにより、火の玉のような燃える男、不屈な男といったイメージが定着したともいわれる。彼も、自分自身を評して、「ゴール、勝利に対する執着心、熱意では誰にも負けない」と語っている。
1957年11月13日のメープルリーフス戦で腱を痛め、1957-1958シーズンは28試合の出場にとどまった。
リシャールの現役時代はNHLの年俸高騰が起きるよりも遥か昔の話で、その最高年俸でも2万5千ドルであったとされる。リシャールの引退から程ない1960年10月6日に、彼の背番号9番はカナディアンズの永久欠番となった。これ以降、9という数字はNHLのホッケージャージーにおいては特別な意味(例えば、野球におけるベーブ・ルース3と同様にチームを代表するプレーヤーを象徴)を持つことなる。
なお、15歳年下の弟アンリ・リシャール(愛称は、兄のロケットをもじって、ザ・ポケット・ロケット)は1955年にカナディアンズに加入し、2005年現在でNHL最多記録となる11回のスタンレー・カップ優勝経験を持つ名選手である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「モーリス・リシャール」の詳細全文を読む




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