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ウェイン・グレツキー : ウィキペディア日本語版
ウェイン・グレツキー[ちょうおん]

ウェイン・グレツキーWayne Douglas Gretzky1961年1月26日 - )はカナダオンタリオ州ブラントフォード生れの元プロアイスホッケー選手である。引退後はNHLフェニックス・コヨーテズの共同経営者兼ヘッドコーチを務める。多くのホッケーファンから、アイスホッケーの神様史上最も優れたホッケー選手と認められている〔時事ドットコム引き際の美学 〕。愛称は「"The Great One"」(グレート・ワン)。オーダー・オブ・カナダ受賞者。ポジションはセンター。ショットは左利き。弟のブレント・グレツキーもNHLで13試合に出場した。また別の弟のキース・グレツキーはNHLでの出場はないもののバッファロー・セイバーズからドラフトで指名を受けている。
== 幼少年期 ==
グレツキーは父親ウォルターの指導もあって幼少時からアイスホッケーにおける卓越した才能を開花させ、6歳の時にはもう10歳の選手に混じって活躍するほどであった。また10歳の時に、85試合378ゴールの記録を残しており、当時の『トロントテレグラム』紙(後の『トロント・サン』)にはグレツキーを紹介する記事が掲載された。14歳で、20歳の選手とともにプレーしたのち、キャリアアップのために故郷のブラントフォードを後にした。この頃初めて代理人との契約を行った。
16歳の1年間はジュニア選手を対象とするオンタリオホッケーリーグ所属のスーセントマリー・グレイハウンド(Sault Ste. Marie Greyhounds)で活躍した。この頃から、グレツキーは背番号99を着用し始めた(この背番号99は、後にNHL全チームの永久欠番となる)。ちなみに、この当時グレツキーは憧れのゴーディ・ハウにあやかって9番を望んだのだが、既にチームの同僚がつけていたのでコーチのムッツ・マクファーソンの勧めもあり99番に落ちついたとされる。
翌1978-1979シーズン、ワールド・ホッケー・アソシエーション(WHA)の数チームが当時17歳でNHLとの契約対象外だった(NHLは20歳以上)グレツキーの獲得を表明し、争奪戦の末インディアナポリス・レイサーズ (Indianapolis Racers)と契約しプロ生活をスタート。グレツキーはデビュー4戦目となる1978年10月20日の対エドモントン・オイラーズ戦で初ゴールを決め、出場8試合で3ゴールと順調なスタート切ったが、当時深刻な財政難に陥っていたレイサーズはグレツキーの放出を決意(その後レイサーズは12月12日に25試合を消化したところで存続を断念)、11月2日にグレツキー他2選手の契約はオイラーズのオーナー、 ピーター・ポクリントンが買い取った〔Gretzky sold to Oilers in move to save Racers 当時の新聞記事〕。グレツキーはオイラーズで72試合に出場、2チーム合計で46ゴール、64アシストと活躍し、WHAの最後の新人王となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ウェイン・グレツキー」の詳細全文を読む




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