翻訳と辞書
Words near each other
・ モンテ・クリスト・アイランド・アパートメンツ
・ モンテ・クリスト伯
・ モンテ・クリスト伯 (映画)
・ モンテ・クリスト島
・ モンテ・クレマスコ
・ モンテ・グラッパ
・ モンテ・グリマーノ・テルメ
・ モンテ・コルヴィノ
・ モンテ・コロンボ
・ モンテ・コンパトリ
モンテ・サクロ
・ モンテ・サンタンジェロ
・ モンテ・サンタ・マリーア・ティベリーナ
・ モンテ・サン・サヴィーノ
・ モンテ・サン・ジャーコモ
・ モンテ・サン・ジュスト
・ モンテ・サン・ジョヴァンニ・イン・サビーナ
・ モンテ・サン・ジョヴァンニ・カンパーノ
・ モンテ・サン・ビアージョ
・ モンテ・サン・ピエトランジェリ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

モンテ・サクロ : ウィキペディア日本語版
モンテ・サクロ

モンテ・サクロ (Monte Sacro、) は、アニエーネ川 (Aniene) の右岸に位置するローマ郊外の丘で、(ローマの七丘のひとつ)カンピドリオ(カピトーリウム)の北東3マイル(およそ5キロメートル)に位置している。標高は海抜50メートルほど。この丘の名は、20世紀以降開発が進んだ周辺地区の名称ともなっている。モンテ・サクロの位置については、ローマ時代に書き残された多数の文献に言及が残されており〔Asconio ''Orationum Ciceronis Quinque Enarratio, IV. Pro Cornelio 〕〔Dionigi di Alicarnasso, ''Antichità romane'', VI. 45〕〔Valerio Massimo, ''Factorum et dictorum memorabilium libri IX'', VIII. 8.9.1〕、その中にはキケロ〔Cicerone, ''Brutus'', 54〕やティトゥス・リウィウス〔Tito Livio, ''Ab urbe condita libri|Ab urbe condita'', Lib II. 32, Lib III. 52〕によるものも含まれている。
==歴史==

伝説によれば、ここはアウグル(鳥を観察して神意を占う神官)たちが鳥の飛翔状況を観察して、予言を行なう場所であったとされており、これが「聖なる」を意味する「サクロ」という名称の由来と考えられている。よく知られた伝説によると、この辺りでは帽子を吹き飛ばすほど強い風が吹き、それは助手たちを護るために魔術の儀式を行おうとする神官たちにとって凶兆とされていたという。
古代ローマの時代には、モンテ・サクロはローマ市街地の城壁からかなり離れた郊外であり、ローマ市街地とフィクレアFiculea:古代の都市)の間、ノメントゥム(Nomentum:現在のメンターナへ通じるノメンターナ街道付近にあった。街道沿いには玄武岩がそのまま露出しているところがあって、いくつもの墳墓が設けられており、現在もそのうち2つが山の近くで姿をとどめており、その前方に位置するノメンターノ橋で街道はアニエーネ川を越える。
モンテ・サクロの丘は宗教行事の場でもあったが、地理的な目印となる地形でもあった。共和政期には、この辺りはラティフンディウム(奴隷制労働による大農園)の一部になっていた。その後、宅地化が進んで、一帯は居住地区となっていった。スエトニウスによれば皇帝一族とも近く深い関わりがあったとされる、ファオンテ (Faonte) という皇帝ネロ解放奴隷であった人物の邸宅が、ここにあったとする重要な記録も残されている。その邸宅は、古代のサラリア街道が大きくカーブを描くあたりに建っていたという。
ローマ時代が終わると、おそらくは軍事的に防御が難しいことから、この丘一帯には人が住まなくなり、近代にいたるまでそのままの状態が続いた。ローマ市街地の拡張は別の方角へと進んでいった。この辺りで、しばしば言及される地点として残ったのは、ノメンターノ橋だけであり、この橋は長い年月の間に、しばしば検問所として、あるいは、軍の駐屯地として用いられた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「モンテ・サクロ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.