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メリーランド方面作戦 : ミニ英和和英辞書
メリーランド方面作戦[めりーらんどほうめんさくせん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
: [ほう]
  1. (n-adv,n) side 2. direction 3. way 
方面 : [ほうめん]
 【名詞】 1. direction 2. district 3. field (e.g., of study) 
: [めん]
  1. (n,n-suf) face 2. mug 3. surface 4. facial features 5. mask 6. face guard 7. side or facet 8. corner 9. page 
: [さく]
  1. (n,n-suf) a work 2. a harvest 
作戦 : [さくせん]
 【名詞】 1. military or naval operations 2. tactics 3. strategy 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 

メリーランド方面作戦 : ウィキペディア日本語版
メリーランド方面作戦[めりーらんどほうめんさくせん]

南北戦争メリーランド方面作戦(英:Maryland Campaign、またはAntietam Campaign)は、1862年9月に東部戦線で行われ、戦争全体の大きな転換点となったと広く考えられている。南軍の将軍ロバート・E・リーが初めて北部の領地内に侵攻したが、北軍ジョージ・マクレラン少将率いるポトマック軍に撃退された。マクレランはリーの北バージニア軍の侵攻を阻止するように動き、最終的にシャープスバーグの近くで攻撃した。その結果として起こったアンティータムの戦いはアメリカ史の中で単一日の損失量としては最大となった。
== 背景と初期の動き ==
1862年は東部戦線における北軍にとって順調に始まった。ジョージ・マクレランのポトマック軍は半島方面作戦バージニア半島に侵攻し、6月までにアメリカ連合国の首都リッチモンドまであと数マイルという所まで迫った。しかし、6月1日にロバート・E・リーが北バージニア軍の指揮官に就くと情勢は変わった。リーは七日間の戦いでマクレラン軍を積極的に攻め、マクレランは度胸をなくし、その軍隊は半島を後退した。リーは続いて北バージニア方面作戦を展開し、ジョン・ポープバージニア軍を翻弄し打ち破った。ここでの重要な戦いは第二次ブルランの戦いだった。リーのメリーランド方面作戦は、東部戦線でこの夏に北軍に対して攻撃的な姿勢を貫いた、論理的に連続の3つの方面作戦の最終章と考えられている。
南軍はこの夏の方面作戦で大きな人的損失を受けた。それでもリーは自軍が大きな挑戦すなわち北部への侵攻を行えると決心した。その目標は北部の主要州であるメリーランド州ペンシルベニア州に到達し、ワシントンD.C.に物資を供給するボルチモア・アンド・オハイオ鉄道を遮断することだった。その動きはワシントンやボルティモアを脅かし、「敵を困らせ悩ませる」動きだった〔Sears, p. 66.〕。
リーが侵攻を始める決断をしたのには幾つかの動機があった。第1は、その軍隊の物資を補充する必要があり、バージニアとは異なりまだ戦争の余波を受けていなかった北部の農園について知っていたことだった。北へ戦場が動くことはバージニアにおける圧力を減らすことだった。第2は、北部の士気の問題だった。リーは北軍を打ち破ることで南軍が戦争に勝ちを収めるわけではないことを知っていた。単に北部の人民や政府がもう戦いを続けたくないと考えさせればよいことだった。この年の11月に連邦議会議員選挙が近付いており、北部内で侵略軍が大混乱をもたらすことで、議会内の民主党勢力を高め、エイブラハム・リンカーンが戦争を終わらせる交渉を始めざるを得なくすることになると、リーは考えた。リーは9月3日にアメリカ連合国大統領ジェファーソン・デイヴィスに宛てた手紙で、敵は「大変弱っており、士気が落ちている」と告げた〔McPherson, p. 89.〕。
ここには2次的な理由もあった。メリーランド州は特に奴隷保有州であり、その市民の多くは南部に対して同情的な立場にあるとすれば、州内で反乱を引き起こすことができる可能性があった。ジェファーソン・デイヴィスを含みアメリカ連合国の政治家の中には、北部領内で軍事的勝利を得れば、諸外国がアメリカ連合国を認知する可能性が強くなると考える者がいたが、南部はこの可能性に軍事作戦を基づかせるべきとリーが考えた証拠はない。それでも、第二次ブルランの戦いの勝利とリーの侵攻開始の報せは、アメリカ連合国がフランスイギリスとの外交交渉を始めさせる推進力となった〔McPherson, pp. 93-94.〕。
シャンティリーの戦いからわずか2日後の9月3日、リーはデイヴィス大統領に宛てて、大統領が反対しなければポトマック川を渡ってメリーランド州に入る決断をしたと書いた。同じ日、リーはシャンティリーから北と西のリーズバーグに向けて自軍の移動を開始した。9月4日、リーズバーグ近郷でポトマック川渡河点を確保するための騎兵同士の会戦、ミルヒルの戦いが起こったあとで、北バージニア軍の1隊がラウドアン郡からポトマック川を越えてメリーランド州内に入った。北バージニア軍の主力部隊は9月7日にメリーランド州フレデリックまで進軍した。総軍55,000名の軍隊〔リー軍の詳細構成.〕は、リッチモンド守備に就いていたD・H・ヒル少将とラファイエット・マクローズ少将の各師団とジョン・G・ウォーカー准将の2個師団によって補強されたが、これはブルランやシャンティリーで失われた9,000名を補充したに過ぎなかった。〔Sears, p. 69.〕
リーの侵攻と時を同じくして南軍による他の戦略的攻勢も始まった。ブラクストン・ブラッグエドマンド・カービー・スミス両将軍は同時にケンタッキー州への侵攻を始めた〔「侵攻」という言葉は、これらの作戦について歴史的に使われてきたが、ケンタッキー州の場合は少し違う。南軍は自領と思っていた地域を取り戻そうとした。しかし、メリーランド州の場合は、北軍の領土を占領し保有しようという考えは無かった。それ故に、その行動は「戦略的襲撃」あるいは「侵略」と表現するのが適当かもしれない。〕。ジェファーソン・デイヴィスは3人の将軍達に空白を残した大衆向け声明文を送っており、その空白には南軍侵攻軍が到達したどの州でもその名前を記入できるように考えていた。デイヴィスは大衆に(さらには間接的にヨーロッパ列強に)、なぜ南部がその戦略を変えているように見えるか説明する文章を書いた。この時点まで、アメリカ連合国は武力侵略の犠牲者であり「外国の侵略」に対して単に自国を防衛していると主張していた。デイヴィスはこの時も自国防衛のための戦争を遂行していると説明した。「征服の意図は無い」と付け加え、侵攻はリンカーン政府に南部との休戦を強制するための攻勢に過ぎないとしていた。「我々は戦争の局面を、執拗にまた明らかに目的のない敵意をもって我々を脅かす敵の領内に移すことで我が国を守ろうとしている。」
デイヴィスの声明書案は将軍達が独自の声明書を発行した後で届いた。将軍達はそれら境界州に征服者としてではなく、解放者としてやってきたことを強調したが、デイヴィスが望んだような南部戦略の変換という大きな問題は伝えなかった〔Sears, pp. 68-69.〕。リーの声明書はメリーランド州の市民に対して、「南部の諸州に対して強い社会的、政治的および経済的結びつきで同盟する州の市民に降りかかってきた悪に対して深い同情の心を持って」やってきた。...「外国のくびきを取り去ることを助け、再び自由人として不可分の権利を享受できるようにするために」と訴えていた〔McPherson, p. 91.〕。
侵攻の報せは北部に恐慌をもたらし、リンカーンは素早い行動を起こすことを強いられた。ジョージ・マクレラン少将は半島から帰って以来軍事拘置所に入っていたが、リンカーンはワシントン周辺の全軍指揮官としてマクレランを復帰させ、リー軍への対処を命じた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「メリーランド方面作戦」の詳細全文を読む




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