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シャンティリーの戦い : ミニ英和和英辞書
シャンティリーの戦い[しゃんてぃりーのたたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

シャンティリーの戦い : ウィキペディア日本語版
シャンティリーの戦い[しゃんてぃりーのたたかい]

シャンティリーの戦い(シャンティリーのたたかい、英:Battle of Chantilly、南軍の呼び方ではオックスヒルの戦い、英:Battle of Ox Hill)は、南北戦争1862年9月1日バージニア州フェアファックス郡で行われた戦いであり、北バージニア方面作戦を終わらせるものとなった。
== 背景 ==
8月30日第二次ブルランの戦いで敗北した北軍ジョン・ポープ少将は、そのバージニア軍にバージニア州センタービルまでの撤退を命じた。この移動は暗くなってから行われ、アービン・マクドウェル少将の第3軍団が殿軍を務めた。この軍隊はブルランを渉り、最後の部隊となったフランツ・シーゲル第1軍団がそこの石橋を破壊した。南軍ロバート・E・リー将軍は、その北バージニア軍が2週間もほとんど休み無く行軍し、さらに3日間近くの戦闘を行ったために疲れていることが分かっていたので、その日に得た戦果を追求しないことにしたために、北軍の退却に支障がなかった。リーの決断によって、北軍ナサニエル・バンクス少将のバージニア軍第2軍団も軍輜重隊を守っていたブリストー駅から行軍してポープ軍本隊に合流することができた。さらに重要なことは、北軍の半島方面作戦から戻ってきたポトマック軍59軍団第6軍団を前面に押し出す時間ができ、またポトマック軍指揮官ジョージ・マクレラン少将にとっては面白くないことにそれらがポープの指揮下に入った。
8月31日の朝までに、ポープはその軍隊の指揮系統を掌握しきれていないように見えた。第二次ブルランの戦いでの敗北はポープの神経を粉々にし、次に何をすべきかが分かっていなかった。ワシントン政府は攻撃を望んでいることを知っていたが、リーが先に攻撃を仕掛けてきて、自軍が再び戦えるようになる前に粉砕しにくることを恐れた。センタービルに置いた作戦本部で、以前この作戦中には気乗りせず開こうとしなかった軍団長を集めての作戦会議を開き、ワシントンの防御線の中にさらに後退するという決定に同意した。しかし、総司令官ヘンリー・ハレックからの伝言は攻撃を指示しており、ポープはマナサスの戦場にいるリー軍に向けて前進を命令した。
しかし、リーは既にその作戦に移っており、ポープから攻撃の主体性を奪おうとしていた。ストーンウォール・ジャクソン少将にはポープ軍の右手に回り込みセンタービルにいる北軍陣地の後方に回るよう指示した。道案内と道を遮る北軍の軍隊を偵察するのはJ・E・B・スチュアート少将の南軍騎兵隊が担当した。ジェイムズ・ロングストリート少将の部隊はその日その場所に留まって、リー全軍が北軍の前にいるとポープに信じ込ませ、その間にジャクソン隊が北から東へと回り込み、戦略的に重要なジャーマンタウンを奪る予定だった。そこはポープ軍にとって2つしか無いワシントンへの道、ウォーレントン・パイク(現在は合衆国国道29号線)とリトルリバー・ターンパイク(現在は合衆国国道50号線)が集合する所だった。ジャクソン隊は空腹で疲れており、緩り動いてセンタービルの北東3マイル (5 km)のプレザント渓谷で野営した。ポープは8月31日の夜になってやっと落ち着いたところだったので、リー軍が側面に回り込もうとしていることに気付かなかった。
夜の間に2つの出来事が起こってポープの考えを変えさせることになった。副官の一人がジャーマンタウンの陣地から戻り、騎兵の大きな部隊が交差点を砲撃してから撤退したと報告した。リーやスチュアートにとって幸運だったことに、ポープはこの騎兵隊を偵察以上のものではないと見過ごした。しかし数時間後に2人の北軍騎兵が歩兵の大部隊がリトルリバー・ターンパイクを東に進んでいるのを見たと報告したとき、ポープは自軍が危険に曝されていると認識した。ポープは攻撃準備の命令を取り消し、センタービルからワシントンに向けての撤退を指示した。また撤退中にリー軍がやってきそうな道路には歩兵の偵察隊を派遣した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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