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ミハイル・ヴァイマン : ミニ英和和英辞書
ミハイル・ヴァイマン
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ミハイル・ヴァイマン : ウィキペディア日本語版
ミハイル・ヴァイマン

ミハイル・イズライレヴィチ・ヴァイマン〔ワイマンの表記もある。〕(ラテン文字表記の例:Mikhail Izrailevich Vaiman, 1926年12月3日 - 1977年12月16日)は、ソビエト連邦ヴァイオリニスト、音楽教師。レニングラード音楽院教授1966年)。ロシア連邦共和国功労芸術家(1957年授与)。
== 概要 ==
現在のウクライナムィコラーイウ州に生まれ、レニングラード音楽院でユーリー・エイドリン(、1896年 - 1958年)にヴァイオリンを学ぶ。1943年3月にタシュケントで催された「若い演奏家による音楽院創設80周年記念演奏会」に参加している〔サンクトペテルブルク音楽院歴史文書より同演奏会プログラムの画像 〕。1945年より演奏活動に入り、1950年ライプツィヒで開催された第1回ヨハン・ゼバスティアン・バッハ国際コンクールのヴァイオリン部門、翌1951年ブリュッセルで開催されたエリザベート王妃国際音楽コンクールに参加し、いずれも第2位という好成績を挙げる。独奏者として活躍するとともに、ピアノパーヴェル・セレブリャーコフチェロムスティスラフ・ロストロポーヴィチトリオを組んで室内楽奏者としても活発に活動した〔日本では「ロストロポーヴィチ三重奏団」として録音が発売された。〕。
1949年より母校レニングラード音楽院で教え始め、1966年に教授に昇格、1970年からは主任となっている。門弟には、トーマス・ザンデルリング潮田益子前橋汀子ジノーヴィー・ヴィンニコフフィリップ・ヒルシュホルンアレクサンドル・カントロフミハイル・ガントヴァルクセルゲイ・スタドレルらがいる。
1977年にレニングラードで没した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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