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ミェシュコ1世プロントノギ : ミニ英和和英辞書
ミェシュコ1世プロントノギ[みぇしゅこ1せいぷろんとのぎ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 

ミェシュコ1世プロントノギ : ウィキペディア日本語版
ミェシュコ1世プロントノギ[みぇしゅこ1せいぷろんとのぎ]

ミェシュコ1世プロントノギポーランド語:Mieszko I Plątonogi、1130年頃 - 1211年5月16日)は、シロンスク公(在位:1163年 - 1173年、兄と共同統治)、ラチブシュ公(在位:1173年 - 1211年)、オポーレ公(在位:1202年 - 1211年)、クラクフ公及びポーランド大公(在位:1210年 - 1211年)。ヴワディスワフ2世(亡命公)の次男、母はオーストリア辺境伯レオポルト3世の娘で、ドイツ王コンラート3世の異父妹であるアグネスボレスワフ1世の弟、コンラトの兄。異称である跛足公(Plątonogi)は、14・15世紀の年代記で使われるようになった。
== 生涯 ==

=== ドイツへの亡命 ===

父が大公の地位を追われた1146年以後、ミェシュコとその家族はザクセンアルテンブルクに住んでいた。この都市はヴワディスワフ2世が義兄のドイツ王コンラート3世から一時的な領地として与えられたものだった。亡命生活の間、ミェシュコはミヒャエルスベルクとバンベルクで学んだ。ところが一時的な亡命生活だったはずのヴワディスワフ2世は、1159年にアルテンブルクで客死してしまった。息子達は父の遺産を回復すべく戦い続け、4年後の1163年神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世の政治介入によって、ミェシュコと兄のボレスワフ1世(長身公)はシロンスクに帰還した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ミェシュコ1世プロントノギ」の詳細全文を読む




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