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マリボル : ウィキペディア日本語版
マリボル

マリボル(スロベニア語Maribor ''マーリボル''、ドイツ語 Marburg an der Drau ''マールブルク・アン・デア・ドラウ'')は、スロベニア北東部の市。スロベニアの中で2番目に大きい都市であり、11の特別市のうちの1つである。
マリボルは、ドラヴァ川とポホリェ山地が出会う場所、ドラヴァ川谷にある。シュタイエルスカ地方最大の都市で、オーストリアグラーツとはおよそ60km程度の距離である。
== 歴史 ==

=== 中世 ===
1164年、マルヒブルヒ(''Marchburch''、中高ドイツ語で三月の城)で知られる城が、シュタイアーマルク公国における記録に記された。マリボルは1204年に初めて城近くの市場として記載され、1254年に町の特権を授けられた。1278年、神聖ローマ皇帝ルドルフ1世ボヘミアオタカル2世に勝利した後、急速に町は発展した。マリボルは1480年と1481年の2度マティアス・コルヴィヌス軍に、1532年と1683年の2度オスマン帝国軍に包囲された。市は1918年までハプスブルク家の支配下にあった。
19世紀以前のマリボルはカトリック教会のグラーツ=セッカウ司教座に含まれ、1859年6月1日にはラヴァント司教座の一部となり、司教公の本拠地となった。司教座の名前(スロベニア北部コロシュカ地方を流れドラヴォグラード村でドラヴァ川に合流する川の名前)が1962年3月5日、マリボル司教座へと変わった2006年4月7日、ローマ教皇ベネディクト16世によって司教座は大司教座へ昇格した。
第一次世界大戦前、市の人口80%はドイツ人で、20%がスロベニア人であった。都市と公共生活の多くがドイツ人の手に握られていた。そのために、市のドイツ語名マルブルク・アン・デア・ドラウが主として知られていた。1910年に行われた最後のオーストリア=ハンガリー帝国の国勢調査によると、マリボルと郊外のストゥデンツィ(ドイツ語名ブルンドルフ)、ポブレツィエ(ポバーシュ)、テズノ(テゼン)、ラドヴァニェ(ロトヴァイン)、クルツェヴィナ(カルトショヴィン)、コシャキ(ライターシュベルク)は、31,995人のドイツ人と6,151人のスロベニア人で構成されていた。拡大した周辺地域はほとんど排他的にスロベニア人が占め、多くのドイツ人はプトゥイのような小さな町で暮らしていた。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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