翻訳と辞書
Words near each other
・ マチルダ・フレンド
・ マチルダ・メイ
・ マチルダ歩兵戦車
・ マチルデ
・ マチルデ (小惑星)
・ マチルデ・マルケージ
・ マチルド
・ マチルド・ド・フリーズ
・ マチルド・ド・ブローニュ
・ マチルド・ド・ブーローニュ
マチルド・ボナパルト
・ マチレス
・ マチン
・ マチンの公式
・ マチンガ
・ マチンシ
・ マチン科
・ マチート
・ マヂカルラブリー
・ マヂャル


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

マチルド・ボナパルト : ミニ英和和英辞書
マチルド・ボナパルト
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


マチルド・ボナパルト : ウィキペディア日本語版
マチルド・ボナパルト

マチルド=レティツィア・ヴィレルミーヌ・ボナパルト(, 1820年5月17日 - 1904年1月2日)は、ナポレオン1世の末弟ジェローム・ボナパルトの長女。母はジェロームの2度目の妻、ヴュルテンベルク王女カタリーナナポレオン・ジョゼフ・シャルル・ポール・ボナパルト(ナポレオン公)の姉。フランス第二帝政時代にはウジェニー皇后と対立関係にあった。
== 生涯 ==
伯父ナポレオン1世死去の前年の1820年トリエステに生まれる。1835年、15歳のときに父ジェロームに連れられて、27歳の従兄ルイ=ナポレオン(後のナポレオン3世)と出会う。当時は色白のすらりとした美少女だった。互いに惹かれあい婚約するが、翌1836年にルイ=ナポレオンはストラスブールで反乱を起こし、逮捕されてしまう。これで婚約は破談になり、その後、政略結婚ロシアの大富豪アナトーリー・デミドフに嫁いだが、夫の暴力に耐えかねて別居状態になった。ロシア皇帝ニコライ1世(母カタリーナの従兄に当たる)のはからいで巨額の慰謝料を得て、パリで愛人とともに自由な生活を送り、またサロンを開いた。1848年にナポレオン3世と再会したときには肥満していたので(「全てを食らう」と言われた祖父、ヴュルテンベルクフリードリヒ1世遺伝の可能性が考えられる)、両者に性的関係はなかったものの仲がよく、彼が結婚するまでは皇后代理を務めていた。
マチルドのサロンでナポレオン3世とスペイン貴族の娘ウジェニーは知り合い、交際するようになった。ウジェニーを軽視していたために当初は気にしなかったが、1853年に2人が結婚すると激怒し、別の社交界を作って対抗した。皇后の悪口はたいていはここから生まれた。
デミドフ公が1870年に死去すると、1873年に美術家で詩人のクロディウス・ポプランと再婚した。
マチルドは1904年、パリにて83歳で死去した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マチルド・ボナパルト」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.