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ポール・サイモン : ミニ英和和英辞書
ポール・サイモン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ポール・サイモン : ウィキペディア日本語版
ポール・サイモン[ちょうおん]

ポール・フレデリク・サイモン(Paul Frederic Simon, 1941年10月13日 - )は、ユダヤ系アメリカ人シンガーソングライター米国ニュージャージー州ニューアーク出身。元々はアート・ガーファンクルとのユニットサイモン&ガーファンクル」として、フォーク・ロック・ミュージシャンとして人気を博したが、ソロ・ミュージシャンとしては、ラテンレゲエアフリカンボサノヴァジャズクラシックエレクトロといった非常に幅広く、多様な音楽に取り組んでいる。2006年、米タイム誌(Time magazine)は「世界で最も影響力のある100人」の一人に、様々な政治家哲学者科学者らと共に、ミュージシャンのポール・サイモンを選んだ。
2011年、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において第93位。
1968年の「ミセス・ロビンソン(Mrs.Robinson)」(最優秀レコード賞等、計2部門)、1970年の『明日に架ける橋(Bridge Over Troubled Water)』(最優秀アルバム賞等、計5部門)、1975年の『時の流れに(Still Crazy After All These Years)』(最優秀アルバム賞等、計2部門)、1987年の『グレイスランド(Graceland)』(最優秀アルバム賞等、計2部門)など、史上最多となる13のグラミー賞を受賞。
また、1990年サイモン&ガーファンクルとして、2001年にはソロでロックの殿堂入りを果たした。
== 経歴 ==

=== サイモン&ガーファンクル ===
サイモンは1955年、小学校時代からの友人アート・ガーファンクルと共にデュオグループ「トム&ジェリー」を結成し、1958年に「ヘイ・スクールガール(Hey Schoolgirl)」(最高位54位)をヒットさせる。高校卒業後、クイーンズカレッジでは英文学を専攻する。1964年には、サイモン&ガーファンクルとして「水曜の朝、午前3時(Wednesday Morning, 3 A.M)」をリリース。しかし、このアルバムはフォーク・ブームの沈静期の影響もあり、注目を集めることはなく、ポール・サイモンは失意の内に1人ロンドンでの音楽活動を始める。1965年には、初のソロ・アルバム『ポール・サイモン・ソングブック(The Paul Simon Song Book)』を録音するが、ここには、後にサイモン&ガーファンクルのレパートリーとなった曲も、多数含まれている。
ヒットは意外なところからやって来た。『水曜の朝、午前3時(Wednesday Morning, 3 A.M)』のA面最後の曲「The Sound Of Silence」をアメリカのFM局が流したところ、リスナーの反応がよかったのだ。これに注目したレコード会社のプロデューサー、トム・ウイルソンがエレクトリックギターとドラムスを多重録音オーヴァーダビングしてシングルとして1965年9月に発売。これが一挙にヒット・チャートを駆け上るヒットとなった。翌1966年1月の「サウンド・オブ・サイレンス(The Sound Of Silence)」のビルボードNo.1。1967年6月カリフォルニアで開かれた第1回モンタレー・インターナショナル・ポップ・ミュージック・フェスティバルに参加、実行委員を務める。その後も、映画『卒業』のテーマ、「ミセス・ロビンソン(Mrs. Robinson)」(最高位1位)、「明日に架ける橋(Bridge Over Troubled Water)」(最高位1位)などのヒットを作り出す。「明日に架ける橋(Bridge Over Troubled Water)」は当初ポール・サイモンがギターで作詞作曲したが、アルバムではガーファンクルの(ほぼ)独唱、そしてピアノアレンジメントとなり、収録された。「コンサートでこの曲に贈られた拍手と賞賛はガーファンクルのものだ」と受け取ったサイモンは、その度に「これは僕がつくった曲なんです」と心で思ったという(サイモンがギター1本で歌った「明日に架ける橋」のデモ・テープは、彼のアルバムに以後収められている)。
ガーファンクルは、アルバム『明日に架ける橋』の制作中、マイク・ニコルズ監督の『キャッチ=22』の撮影と重なり、ポールはひとりで作業をすることが多くなった。ガーファンクルの不在をモチーフとして書かれたのが「ニューヨークの少年」(The Only Living Boy in New York)である。
1970年は「サイモン&ガーファンクル」としてビルボードでシングル「明日に架ける橋」、アルバム『明日に架ける橋』が両方の年間チャートでNo.1を獲得した。シングルとアルバム、両方の年間チャートで同じアーティストがNo.1を獲得するのはビルボード始まって以来、初の快挙である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ポール・サイモン」の詳細全文を読む




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