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ボンバイエ ( リダイレクト:アントニオ猪木#「イノキボンバイエ」 ) : ウィキペディア日本語版
アントニオ猪木[あんとにお いのき]

アントニオ 猪木(アントニオ いのき、, 1943年2月20日 - )は、日本の元プロレスラー実業家政治家日本を元気にする会所属の参議院議員(2期)、日本を元気にする会最高顧問。本名:旧リングネーム:猪木 寛至(いのき かんじ)。神奈川県横浜市鶴見区出身。血液型AB型。新日本プロレス設立後のキャッチフレーズは「燃える闘魂〔当時テレビ朝日プロレス中継アナウンサーの舟橋慶一の命名である。〕」(当初は「燃ゆる闘魂」)。日本プロレス所属時代のキャッチフレーズは「若獅子」。愛称は「アントン」。元妻は、女優倍賞美津子。倍賞との間に娘が一人いる。1991年イラクシーア派聖地カルバラーにてイスラム教に改宗しており、ムスリム名は「モハメッド・フセイン」〔アントニオ猪木、イスラム教徒だった 入信のきっかけは「イラクの人質救出」 - J-CASTニュース 2012/12/30〕。
プロレスラー現役時代は新日本プロレスの創業や異種格闘技戦で活躍。
== プロフィール ==

=== 生い立ち ===
神奈川県横浜市鶴見区生麦町(現在の鶴見区岸谷)出身。父親は猪木佐次郎、母は文子(旧姓:相良)。父親は猪木が5歳の時に死去。前田日明は「猪木さんの弁によると父親は県会議員か何かだったって」と著書に書いている〔山本小鉄・前田日明『日本魂』講談社〕。実家は石炭問屋を営んでいたが第二次世界大戦後、世界のエネルギー資源の中心が石炭から石油に変わっていったこともあり倒産。
12歳で横浜市立寺尾中学校に入学するも、生活は厳しかった。13歳の時に母親、祖父、兄弟とともにブラジルへ渡り〔長兄は同行せず。祖父は渡航中に船上で毒性のある未熟なバナナを食べて死去。〕、サンパウロ市近郊の農場で少年時代を過ごす。ブラジル移住後最初の1年半は、農場で早朝5時から夕方の5時までコーヒー豆の収穫などを中心に過酷な労働を強いられた。
幼少時代は運動神経が鈍く、友達からは「ドン寛(鈍感)」「運痴の寛ちゃん」などと呼ばれていた程であったが、ブラジル移住後は陸上競技選手として現地の大会に出場し、砲丸投げで優勝するなど、その身体能力を発揮する〔なお陸上部の前にバスケットボール部に入っていた。ただし「うまくないから」という理由で退部。〕。その際、ブラジル遠征中の力道山の目に留まる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アントニオ猪木」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Antonio Inoki 」があります。




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