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ボビー・ウォレス : ミニ英和和英辞書
ボビー・ウォレス[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ビー : [びー]
 (n) bee, (n) bee
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ボビー・ウォレス : ウィキペディア日本語版
ボビー・ウォレス[ちょうおん]

ボビー・ウォレス(Roderick John "Bobby" Wallace, 1873年11月4日 - 1960年11月3日)は、1890年~1910年代のアメリカメジャーリーグの選手。主なポジションは遊撃手ペンシルベニア州ピッツバーグ生まれ。右投げ右打ち。『ボビー』は愛称。本名から『ローディ(Rhoddy)』とも呼ばれた。選手、監督、審判、コーチ、スカウト等で、メジャーリーグと60年間関わった。
== 略歴 ==
1894年に先発投手としてクリーブランド・スパイーダーズに入団。2年目3年目でそれぞれ12勝14敗、10勝7敗の成績を上げた。4年目の1897年に三塁手に転向し、この年打率.335、112打点と打撃面での活躍を見せ、内野のレギュラーに定着した。
1899年にスパイダーズからカージナルスに移籍。カージナルスでは遊撃手をこなし、打撃面もキャリア二度目の100打点以上をあげる活躍をした。1901年には自身二度目の打率三割(.324)をマークし、守備面でもこの年のリーグ最多となる542の補殺と、67の併殺を記録する活躍を見せた。
カージナルスで活躍していたウォレスは、1902年に本拠地をセントルイスに移したセントルイス・ブラウンズに移籍、1911年頃までチーム不動の遊撃手となった。1911年と1912年はチームの監督を兼任するが、監督1年目のチームは45勝107敗と散々な成績で、翌年の5月には兼任監督の座を退いている。
1913年以降は出場機会が減ってきたためか、1915年に彼は審判員としての訓練を積んで、その年111試合のゲームを裁く(同年、選手としても9試合に出場している)。なぜか審判を務めたのはこの年限りだった。ブラウンズに15年在籍した後、1917年にカージナルスに戻り、翌年引退。選手歴は25年、46歳までプレーしたことになる。引退後はシンシナティ・レッズのコーチなどをしながら現場に関わり、1937年シーズン終盤に25試合ほどレッズの指揮をとった。その後は80歳を超えるまでチームのスカウトを務めていた。
1953年、ベテランズ委員会によりアメリカ野球殿堂入り。1960年カリフォルニア州で87歳で死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ボビー・ウォレス」の詳細全文を読む




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