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ホンダ・CB-F : ミニ英和和英辞書
ホンダ・CB-F[しーびーえふ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

F : [えふ]
 ファロー四徴(症)

ホンダ・CB-F : ウィキペディア日本語版
ホンダ・CB-F[しーびーえふ]

CB-F(シービーエフ)とは、1978年本田技研工業が販売した、900cc4ストロークエンジンを搭載した大型自動二輪車シリーズである。
CB900Fを筆頭に、レギュレーションや各国の法規制に合わせた展開が行われた一連の車種。ホンダにはCBとつく車両は多く、同様に末尾にFが与えられる車両も複数存在するが、ここでは主にCB900FCB750FCB1100RCB1100Fに関して記述を行う。
== 概要 ==

ホンダが1969年に発売したCB750Fourは、時速200km/hを超える性能と、多くのライダーにとって手の届く販売価格を実現し〔同時期に販売されていた車種として、MVアグスタ・MV600が1040,000円(2,889ドル)、ミュンヒTT1000が1440,000円(4,000ドル)といった販売価格のところ、CB750Fourは535,000円(1,495ドル)で販売された。(いずれも当時の換算価格)〕、国産大型オートバイが世界市場を席巻するにいたった歴史的な名車であったが、DOHC4バルブなどの技術を搭載した後発のオートバイによる追撃にあい、徐々に発売当初のイメージには陰りが見え始めていた。
また、1960年代のホンダは北米市場での要望を中心に輸出車両の開発を行っていたが、1970年代に入り欧州と北米のオートバイに対する嗜好は乖離し始めた。そのため、北米向けに作られた車両を欧州向けにローカライズするだけの販売戦略では欧州でのシェアを失う一方であり、欧州市場の要求にこたえる車種を持たないでいたホンダは、先進技術を投入した新たなフラッグシップモデル、とりわけ欧州での需要の高いスポーツモデルの投入が急務となっていた。
1966年のロードレース世界選手権を最後に、自動車部門での環境適応エンジンの開発などのために一時休止していたレース活動であったが、先進技術を投入した新たなスポーツモデルの開発、設計のためにはロードレースへの復帰が必要であるとの判断がなされた。1972年マスキー法の基準を満たしたCVCCエンジンの開発を達成していた事から環境適応エンジンの開発に関しては一区切りついたと判断し、サーキットで活躍するカワサキ・Z1を追撃するため、1975年にH.E.R.T.(Honda Endurance Racing Team)を結成し、1970年代の欧州で常時10万人を超える観客を動員するなど高い人気を誇ったFIMヨーロッパ耐久選手権から再びレース活動を開始した〔。
ヨーロッパ耐久選手権へ投入されたRCB1000は、CB750Fourに搭載されたOHC2バルブエンジンをベースにDOHC4バルブ化させ、これを搭載。1976年は8戦中7勝、1977年にはシリーズ9戦全勝という成績を収め、圧倒的強さから「浮沈艦」「無敵艦隊」などと称えられた。こうしてRCBで培われた空冷DOHC4バルブエンジンの技術を市販車に転用し「RCBのイメージをダイレクトに受け継ぐ、サーキット最速・最軽量のスーパースポーツ」として開発されたのがCB900Fであった。これら一連のCB900Fを擁して欧州での市場を奪還するというプロジェクトはノルマンディー上陸作戦に例えられ、社内では「マルエヌ」という通称で呼ばれた〔ホンダ CB-F オーナーズバイブル P.162〕。
それぞれFZ、FA、FB、FC、FDの順番にモデルチェンジが行われ、カウルが装着された車両はF2となる。日本国内におけるCB750Fでは、鈴鹿8時間耐久ロードレース記念車両としてFBBやF2BBといった限定仕様も存在し、白バイへの採用もされていた。
CB-Fが発売された1970年代末から1980年代初頭にかけて日本はバイクブームの只中にあり、1981年から1982年にはオートバイの国内総生産台数は700万台を超えるに至った〔日本のバイク遺産 1970年代編 P.174〕。そのため各社とも次々とニューモデルを発表し、CB750FはXJ750E/A、Z750GPGSX750Sカタナなどの追撃にあった。また、HY戦争という対立構造もホンダの商品開発、世代交代を加速させ、CB750Fは1982年とその存在感に反し短期間でV型4気筒エンジンを搭載するVFシリーズに750ccのフラッグシップの座を譲り生産を終了させた〔日本のバイク遺産 1970年代編 P.175〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ホンダ・CB-F」の詳細全文を読む




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