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ベネリ : ウィキペディア日本語版
ベネリ

ベネリ(''Benelli'' )はイタリアオートバイメーカーである。現在は中国銭江グループの傘下にある。かつてはショットガンの製造も行っていたが、現在は銃器製造部門は別会社となっている。
== 設立初期 ==

ベネリは1911年、イタリアのペーザロに設立された。
未亡人であるテレサ・ベネリは、6人の息子(ジュゼッペ、ジョバンニ、フランチェスコ、フィリッポ、ドメニコ、"トニーノ"ことアントニオ)の将来を考え、財産の全てを投資してベネリ社を設立した。最初は車とオートバイの修理専門の「ベネリ修理工場」といった程度の規模であったが、ほどなくして修理用のパーツを自社で製作するようになった〔Benelli Motorcycle History 〕。
1920年、最初の完全自社製エンジンを発売するが、これは自転車のフレームに搭載するための75ccの2サイクル単気筒エンジンだった。1921年の終わりにはこのエンジンは98ccまで拡大され、これを搭載したベネリ社最初のオートバイの製造を開始した。
2年後、トニーノ・ベネリが競技仕様の自社製オートバイを使ってレースを始める。トニーノはライダーとして並外れた才能を見せており、テストライダーとしてもオートバイの開発と生産に大いに貢献していた。
トニーノは1927年、1928年、1930年、1931年とベネリ175を駆ってイタリアチャンピオンとなった。ところが翌1932年、レース中の不運なクラッシュによってトニーノのレーサーとしてのキャリアは終わりを迎え、さらに5年後の1937年9月27日、つまらない交通事故によってトニーノは命を落としてしまった。
第二次世界大戦が迫りつつある中、ベネリ社はスーパーチャージャーを搭載した250cc4気筒のレース用マシンをデビューさせた。これは1939年のマン島TTレースのライトウェイトクラスでベネリの250ccマシンが優勝したのを受け、連覇を賭けて1940年のマン島に送り込むために開発したマシンだった。しかし、戦争が始まってしまったために、この4気筒マシンはイタリア国内のレースを戦うのみに終わった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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