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ベニス・シンプロン・オリエント・エクスプレス : ミニ英和和英辞書
ベニス・シンプロン・オリエント・エクスプレス
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ベニス・シンプロン・オリエント・エクスプレス : ウィキペディア日本語版
ベニス・シンプロン・オリエント・エクスプレス

ベニス・シンプロン・オリエント・エクスプレス(Venice Simplon-Orient-Express, 略称VSOE)は、ベルモンド社(2014年にオリエント・エクスプレス・ホテルズから改称)が運行しているヨーロッパの観光列車である。2012年現在では、通常はロンドン - 間およびカレー - パリ - ヴェネツィア(ベニス〔VSOEでは英語表記のベニス(Venice)が用いられる。〕)間で運行されている。イギリスと大陸では別の編成を利用している。車両は主に1920年代に製造され、国際寝台車会社(ワゴン・リ)や英国プルマン社の豪華列車で用いられていた寝台車食堂車、サロン車(パーラー・カー、プルマン車)などである。
== 歴史 ==
オリエント急行国際寝台車会社(ワゴン・リ)により1883年に運行が始められ、1920年代から30年代にはシンプロン・オリエント急行アールベルク・オリエント急行など多彩な経路で東西ヨーロッパを結んでいた。またイギリスプルマン社との協力によりロンドンからこれらのオリエント急行への接続も行われていた。しかし第二次世界大戦後には、「オリエント急行」と総称される列車群はかつてのような豪華列車ではなくなっていた。パリからイスタンブルへの直通運転は1977年5月を最後に廃止された。一方1976年には、スイスの旅行代理店経営者であるアルバート・グラッツにより、豪華列車時代のオリエント急行を再現した観光列車(ノスタルジー・オリエント急行(NOE)、のちのノスタルジー・イスタンブール・オリエント急行)が始められている。
1977年10月8日モナコモンテカルロにおいて行われたサザビーズオークションで、元ワゴン・リ社の客車5両が競売にかけられた。このときグラッツとの競り合いの末、寝台車2両(3489号車と3543号車)を落札したのが、アメリカ合衆国の海運会社シーコンテナ社の社長ジェームズ・シャーウッド(James Sherwood)である。シャーウッドはその後もワゴン・リや英国プルマンの客車を買い集め、旧ワゴン・リ車23両、旧プルマン車12両、計35両を揃えた。
大陸側のワゴン・リ社の客車は同社から直接購入したものが主であるが、イギリスのプルマン社の客車は個人や博物館、保存鉄道団体などから買い集めた。大陸の客車はブレーメンオーステンデにあるワゴン・リ社の修理工場で修復工事が行われた。イギリスではに新たに修理工場を建設した。買収と修復には1100万ポンドを要した〔。
シャーウッドはオリエント・エクスプレス・ホテルズ社を設立し、1982年5月25日からロンドン - ヴェネツィア間でベニス・シンプロン・オリエント・エクスプレスの運行を始めた。これは沿線各国鉄の運賃等の適用される通常の列車ではなく、オリエント・エクスプレス・ホテルズ社の提供するツアー客専用の観光列車である。列車名は「シンプロン・オリエント急行(Simplon-Orient-Express)」とする予定であったが、優先権を持つフランス国鉄の許可が得られなかったため「ベニス」を冠した。最初の列車には女優のライザ・ミネリが乗車した〔。
ロンドンのヴィクトリア駅からフォークストンまでブリテッシュ・プルマン編成で運行し、そこからフランスのブローニュ=シュル=メールまで船で渡った。ブローニュからヴェネツィアまではパリローザンヌシンプロントンネルミラノを経由した。これはかつてのシンプロン・オリエント急行の経路の一部とほぼ同じであるが、パリにおける発着駅はオステルリッツ駅となっていた〔。
運行初年の1982年の乗客はのべ21,000人で、出身はイギリスが39%, アメリカ合衆国が36%, フランスが9%, イタリアが2%, 日本が1%などとなっている〔。
先行するノスタルジー・オリエント急行(NOE)が古い骨董品のような車両をそのまま使っているのに対し、VSOEの客車は新品同様に修復されていた。これは両経営者の考え方の違いと評されており〔フジテレビの沼田篤良プロデューサーによる評。沼田は「夢のオリエント急行」の取材のため、正式運行開始直前のテスト列車に試乗した。〕、シャーウッドは飛行機のスピードに対抗するためには極上の雰囲気とサービスが必要であると述べていた〔〕。
1984年には、スイスからイタリアにかけての経路がオーストリアチロル州を通るものに変更され、ローザンヌ、チューリッヒアールベルクトンネルインスブルックブレンナー峠経由となった〔〔。これはこの経路の方が遠回りではあるものの、沿線の景色が良いためである。さらに1985年にはパリ - チューリッヒ間がバーゼル経由となり、同時にパリにおける発着駅が東駅に変更された。これ以降のパリ - インスブルック間の経路はかつてのアールベルク・オリエント急行とほぼ同じである〔。
1986年からは、オリエント・エクスプレス・ホテルズ社によるクルーズ客船「オリエント・エクスプレス(Orient Express)」が、ベニス・シンプロン・オリエント・エクスプレスと接続してヴェネツィアからピレウスイスタンブルなどを巡った〔。
ロンドン・パリ - ヴェネツィア間の通常の経路に加え、1988年にはアールベルク経由ウィーンへの特別運行が行われた。その後デュッセルドルフ - バーゼル - ヴェネツィア間やプラハローマクラクフなどへも特別運行が行われている。また1998年には初めてブカレスト経由イスタンブルまで乗り入れた〔。
2003年から2006年にかけて、大陸側編成の台車の交換が行われ、160km/hでの走行が可能になった〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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