翻訳と辞書
Words near each other
・ フェーダーヴァイサー
・ フェーデ
・ フェーディング
・ フェートノーザン
・ フェートメーカー
・ フェートン
・ フェートン (帆走フリゲート)
・ フェートン (車両)
・ フェートン (軽巡洋艦)
・ フェートン号
フェートン号事件
・ フェート・フィアダ
・ フェード
・ フェードアウト
・ フェードア・ケルレル
・ フェードア・フォン・ボック
・ フェードイン
・ フェードル
・ フェードル・フォン・ボック
・ フェード・アウト


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

フェートン号事件 : ミニ英和和英辞書
フェートン号事件[ふぇーとんごうじけん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [ごう]
  1. (n,n-suf) (1) number 2. issue 3. (2) sobriquet 4. pen-name 
: [こと]
 【名詞】 1. thing 2. matter 3. fact 4. circumstances 5. business 6. reason 7. experience 
事件 : [じけん]
 【名詞】 1. event 2. affair 3. incident 4. case 5. plot 6. trouble 7. scandal 
: [くだん, けん]
 【名詞】 1. matter 2. case 3. item 

フェートン号事件 : ウィキペディア日本語版
フェートン号事件[ふぇーとんごうじけん]

フェートン号事件(フェートンごうじけん)は、文化5年8月1808年10月)、鎖国体制下の日本の長崎港で起きたイギリス軍艦侵入事件。ヨーロッパにおけるナポレオン戦争の余波が極東の日本にまで及んだものである。
== 背景 ==
1641年以降、欧州諸国のなかでネーデルラント連邦共和国(のちのオランダ)のみが日本との通商を許され、長崎出島オランダ東インド会社商館が設置されていた。イギリスも江戸時代初期には平戸に商館を設置して対日貿易を行っていたが、オランダとの営業競争に敗れ経営不振のため1623年に長崎平戸の商館を閉館し、その後再開を試みるも江戸幕府に拒絶され続けていた(平戸のイギリス商館については、イギリス(平戸)商館参照のこと)。
18世紀末、フランス革命戦争が勃発すると、1793年にオランダはフランスに占領され、オランダ統領ウィレム5世はイギリスに亡命した。オランダでは地元の革命派によるバタヴィア共和国が成立し、オランダ東インド会社は1798年に解散した。バタヴィア共和国はフランスの影響下にあるとはいえ一応オランダ人の政権であるが、ナポレオン皇帝は1806年に弟のルイ・ボナパルトをオランダ国王に任命し、フランス人によるオランダ王国(ホラント王国)が成立した。このため、世界各地にあったオランダの植民地はすべて革命フランスの影響下に置かれることとなった。
イギリスは、亡命して来たウィレム5世の依頼によりオランダの海外植民地の接収を始めていたが、長崎出島のオランダ商館を管轄するオランダ東インド会社があったバタヴィアジャカルタ)は依然として旧オランダ(つまりフランス)支配下の植民地であった。しかし、アジアの制海権は既にイギリスが握っていたため、バタヴィアでは旧オランダ(つまりフランス)支配下の貿易商は中立国のアメリカ籍船を雇用して長崎と貿易を続けていた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フェートン号事件」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.