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フィリップ・ゴリコフ : ミニ英和和英辞書
フィリップ・ゴリコフ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


フィリップ・ゴリコフ : ウィキペディア日本語版
フィリップ・ゴリコフ

フィリップ・ゴリコフ, Filipp Ivanovich Golikov;1900年7月17日 - 1980年7月29日)は、ソ連の軍人。ソ連邦元帥ソ連邦英雄'', Filipp Ivanovich Golikov;1900年7月17日 - 1980年7月29日)は、ソ連の軍人。ソ連邦元帥ソ連邦英雄
== 経歴 ==
クルガン州ボリソヴォ村出身。1918年からソ連共産党員。1918年から赤軍に入り、ロシア内戦に従軍。1929年、高等指揮要員完全化課程を修了し、1931年に軍事学校、1933年にM.V.フルンゼ名称軍事アカデミーを卒業。
1939年、第6軍を指揮し、西ウクライナポーランド)での作戦に参加。1940年6月、赤軍への階級制導入に伴い中将となり、赤軍参謀次長/情報局長。
独ソ戦勃発後、1941年10月から第10軍、1942年2月から第4打撃軍、1942年4月からブリャンスキー軍、1942年7月からヴォロネジ戦線を指揮。1942年8月~10月、第1親衛軍司令官、南東(スターリングラード)及び北西戦線の副司令官。1942年10月からヴォロネジ戦線司令官。ニキータ・フルシチョフの意見により戦線司令官職を解任され、1943年4月から人事総局長、1944年10月から復員問題担当ソ連人民委員会議全権代表。
終戦直後の経歴の詳細については不明だが、ある情報によれば、1949年~1950年の間、刑務所に収監されていたともいう。1956年~1958年、装甲戦車兵軍事アカデミー校長。1958年~1962年、ソ連軍・海軍政治総局長。1961年、ソ連邦元帥。1962年5月から、監察総局においてソ連国防省内の業務に移り、退役。1961年~1966年、ソ連共産党中央委員会委員。第1期、第4~第6期ソ連最高会議代議員。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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