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ファン・カルロス・フェレーロ : ミニ英和和英辞書
ファン・カルロス・フェレーロ[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

カルロス : [かるろす]
 【名詞】 1. Carlos 2. (n) Carlos
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ファン・カルロス・フェレーロ ( リダイレクト:フアン・カルロス・フェレーロ ) : ウィキペディア日本語版
フアン・カルロス・フェレーロ[ちょうおん]

フアン・カルロス・フェレーロJuan Carlos Ferrero, 1980年2月12日 - )は、スペイン・オンテニエンテ出身の男子プロテニス選手。身長183cm、体重73kgの細い体型から“''Mosquito''”(モスキート)と呼ばれている。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。自己最高ランキングはシングルス1位、ダブルス198位。ATPツアーでシングルス16勝を挙げた。
2003年全仏オープン男子シングルス優勝者で4大大会では2度の準優勝経験がある。2002年最終戦マスターズ・カップ準優勝。マスターズ1000優勝4回。デビスカップではスペイン代表として3度の優勝に貢献。
==選手経歴==
ジュニア時代、1998年の全仏オープン男子ジュニアシングルス部門でフェルナンド・ゴンサレスチリ)に敗れた準優勝がある。同年にプロ入り。翌1999年3月のハサン2世グランプリモロッコカサブランカ開催)が彼のATPツアーデビュー戦で、予選勝ち上がりからベスト4に進出した。1999年全米オープン4大大会に初出場し、1回戦で第8シードのグレグ・ルーゼドスキーイギリス)に敗れたが、翌週に開かれた地元スペインマヨルカ大会決勝でアレックス・コレチャを下し、ツアー初優勝を果たす。これらの好成績から、彼はシングルスランキングを年初の「348位」から年度末には「45位」にまで急上昇させ、1999年度のATPアワード「最優秀新人賞」を受賞した。
2000年全仏オープンで、フェレーロは初出場からいきなり準決勝まで進出し、クレーコートの王者グスタボ・クエルテンブラジル)に 5-7, 6-4, 6-2, 4-6, 3-6 で惜敗した。同年9月に開かれたシドニー五輪にもスペイン代表選手として出場し、第8シードとしてアルノー・ディ・パスカルフランス)との準々決勝まで進出した。その後は特にクレーコートで圧倒的な強さを見せ続け、2001年ローマ・マスターズでは、決勝でクエルテンに3-6, 6-1, 2-6, 6-4, 6-2で勝利し、優勝している。しかし、同年の全仏オープンでは2年連続の準決勝でクエルテンに連敗する。2002年全仏オープンでは、ギリェルモ・コリアアルゼンチン)、ガストン・ガウディオアルゼンチン)、アンドレ・アガシアメリカ)、マラト・サフィンロシア)といった強敵を次々と撃破し、初の決勝進出を果たすが、同じスペインの先輩選手アルベルト・コスタに 1-6, 0-6, 6-4, 3-6 で敗れて準優勝に終わった。
2003年全仏オープンで、フェレーロは2年連続2度目の決勝進出で悲願の初優勝を達成した。この時は準々決勝でジュニア時代からのライバルだったフェルナンド・ゴンサレスチリ)を6-1, 3-6, 6-1, 5-7, 6-4とフルセットの末に破り、その後準決勝でコスタを6-3, 7-6, 6-4で破り、1年前のリベンジを果たし、決勝でオランダのビッグ・サーバー、マルティン・フェルカークを 6-1, 6-3, 6-2 で圧倒している。この後全米オープンでもレイトン・ヒューイットオーストラリア)、アガシら過去の全米優勝者を撃破して決勝に進出したが、地元アメリカの新星アンディ・ロディックに 3-6, 6-7, 3-6 で敗れて準優勝に終わった。全米オープン終了後、フェレーロは初めて世界ランキング1位になった。
その後は故障の影響もあり、彼は長期間の成績不振に苦しんだ。2004年から2008年までの5年間は、ATPツアーで6度の準優勝に止まっていた。その間、2007年ウィンブルドンで初のベスト8進出があり、この準々決勝ではロジャー・フェデラースイス)に 6-7, 6-3, 1-6, 3-6 で敗れた。2003年10月のマドリード・マスターズ以降、110大会もの間ツアー優勝から遠ざかっていたが、2009年4月のハサン2世グランプリ決勝でフローラン・セラフランス)を 6-4, 7-5 で破り、6年ぶりのツアー優勝を飾った。それからウィンブルドンでランキングが足りず、ワイルドカードでの出場であったにもかかわらず、3回戦で第10シードのフェルナンド・ゴンサレスを 4-6, 7-5, 6-4, 4-6, 6-4の死闘の末に、4回戦では第7シードジル・シモンフランス)を破り、2人のトップ10プレーヤーを破った上で、2年ぶり2度目の準々決勝に進んだが、第3シードのアンディ・マリーイギリス)に 5-7, 3-6, 2-6 のストレートで完敗した。
フェレーロは2012年10月のバレンシア・オープン500を最後に32歳で現役を引退した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フアン・カルロス・フェレーロ」の詳細全文を読む




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