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パパゴ : ミニ英和和英辞書
パパゴ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


パパゴ : ウィキペディア日本語版
パパゴ
パパゴ(Papago、Pápago)とはアメリカインディアン部族のひとつ。

== 文化 ==
アメリカ合衆国南西からメキシコ北西にかけて広がるソノラ砂漠が、元来の生活地。「パパゴ」の由来は、「パパ(豆)」+「オオタム(人々)」で、「豆の人々」という意味をコンキスタドールが採用したもの。そのためパパゴの多くはこれを拒絶し、代わりに「トホノ・オ=オダム」(Tohono O'odham、砂漠の民)という自称が用いられることが次第に増えてきている。言語はユト・アステカ語族パパゴ語(別名ピマ語、オオダム語)。
パパゴに言語的文化的に近縁で、起源を同じくする民族集団としてピマ族がある。アキメル・オオダム(川の民)とも呼ばれるこの民族はフェニックスのすぐ南、ヒラ川下流域に居住する。これら両民族の祖先は1400年代にアリゾナ州南部の河川峡谷で生活し、現在では絶滅してしまったソバイプリであることが判明している。先史時代のこの地域には、大規模な灌漑設備やカサグランデに代表される建築物を遺したホホカムと呼ばれる民族が居住していた。しかしパパゴの系統をこのホホカムに遡る事ができるかどうかは、300年前に南方から移住してきたとする説もあり、立証は難しい。
歴史的にみて1600年代からパパゴとピマは、アパッチと対立関係にあった。この状態は20世紀初頭に白人がこの地域で大きな力を握り、両民族が共通の敵のために手を結ぶようになるまで継続する。事実、パパゴ語で敵を表す語はアパッチに対する古い呼び名である''ob''なのだ。しかし一方で彼らが1600年代までは共存し、交易・婚姻関係にあった事は多くの点から明らかにされている。
パパゴの音楽と舞踊は、声を発しないまま行われるパイプ・セレモニーとも、盛大に執り行われるパウワウとも異なり、他の民族に見られるような注意喚起のための儀式や設備を欠く。歌には木製のやすりや裏返しにしたバスケットで伴奏がつくが、これらの楽器の音色には反響がなく、砂漠の大地に吸い込まれていくようだと形容される。そしてスキップシャッフルを中心とした、裸足での踊りが乾いた泥質の土の上でなされる。舞い上がる土埃は大気を目覚めさせ、雨雲を生むと信じられているのだ。〔Zepeda, Ofelia (1995). ''Ocean Power: Poems from the Desert'', p.89. ISBN 0-8165-1541-7.〕
トゥーソン近郊のサンゼイビア保留地には「砂漠の白鳩」と称される聖ザビエル伝道協会がある。この教会は1700年にイエズス会修道士で探検家のエウセビオ・キノによって建立された。現在の建物は1783年から1797年にかけて、パパゴの人々とフランシスコ会の修道士によって建てられたものである。当時スペイン植民地の北部辺境であったこの地域には多くの教会が作られたが、この教会もその一つであり、サンゼイビア保留地を観光名所たらしめている。
この地域に存在する教会を見る限り、砂漠の住民がコンキスタドールのもたらしたカトリックを平和裏に受容したように見える。しかし実際はそうではなかった。パパゴの村々は変化を拒み、数百年にわたり抵抗を続けていた。特に1660年代と1750年代の反乱は、1680年に起こったプエブロの反乱に比肩する規模のものである。武装した反乱軍はピメリア・アルタ(北部ピマ領)へのスペイン軍の侵入を退け、ピメリア・バハつまり南方への撤退を余儀なくさせた。現在でも彼らの慣習、伝統文化が何世代をも乗り越えて残っているのはそのためである。
アングロサクソン系の白人がアリゾナ準州(当時)に流入すると、伝統は徐々に抑圧されていった。インディアン寄宿学校綿花農園、そして連邦政府のインディアン同化政策が結託して、インディアンのアメリカ合衆国への同化を促進した。1930年代に設けられた現在のインディアン自治政府も産業界、宣教師、連邦政府の影響が根本に存在する。
これらの同化政策の終局的目標はインディアンを「真のアメリカ人」とすることだったが、寄宿学校ではインディアンを移民労働者または家政婦のような職業へと送り込むことに主眼が置かれた。実のところ、表向きには同化が唱えられたが、それは社会への完全な参画を意味するものではない。階層社会としての合衆国の、経済的指導者ではなくより底辺の労働者階層に人材を供給することが、寄宿学校の目標として想定されたのだ〔Benjamin Capps著『The Great Chiefs』、Dennis Banks著『聖なる魂』〕。
パパゴは数百年にわたって変化への圧力を撥ね退け、21世紀の現在にあっても伝統を維持しパパゴ語を保存してきた。しかし近年のアメリカ文化の隆盛には抗いきれず徐々に伝統を失いつつあるのが実情である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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