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バークレー・バックストン : ミニ英和和英辞書
バークレー・バックストン[ばっくす]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
バックス : [ばっくす]
 【名詞】 1. (1) backs 2. (2) VAX 3. (P), (n) (1) backs/(2) VAX

バークレー・バックストン : ウィキペディア日本語版
バークレー・バックストン[ばっくす]

バークレー・フォーエル・バックストン(Barclay Fowell Buxton、1860年8月16日 - 1946年2月5日)は、日本で活躍したイギリス聖公会宣教師司祭牧師神学校教師。聖霊に満たされることを強調して教えた。バックストンとその弟子たちは、日本の福音派の源流の一つ「松江バンド」と呼ばれるクリスチャン集団を形成したとされる。
== 経歴 ==

*1860年8月16日 イギリスのエセックス州レイトンにて、酒の醸造で成功していたバックストン家に生まれる。父は実業家トーマス・バックストン。祖父は英国新5ポンド札の中にも描かれている社会改革に尽くした政治家トーマス・バックストン。(新5ポンド札の左側の集会の中のめがねをかけた人物がトーマス・バックストン)。 
*1874年 名門ハーロー校に入学
*1879年 ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学。テニスクリケットの選手としても活躍する。
*1882年 D.L.ムーディーの集会で献身を決意する。
*1884年 イタリアエジプトイスラエルを旅行する。英国国教会の教職のとしての按手礼をうけ執事に任命される。
*1885年 5月29日に「きよめ」の経験をする〔p12、上野和也、「バックストンと松江バンド」、Asia Graduate School of Theology 博士論文〕。この年、英国国教会の長老(司祭)となる。
*1886年 建築家ウィリアム・レイルトン(ネルソン記念柱等を設計)の娘マーガレット・M・レイルトンと結婚
*1890年 CMSミッション(英国国教会海外宣教局)の宣教師として庭師や家政婦などを伴い総勢9名で来日
*1891年 島根県松江市に移る。(同じ年に小泉八雲も松江に赴任)
*1893年 松江市内の赤山(現在の大本島根本苑)に修養道場を併設した自宅(1300坪)が完成。自宅を拠点に伝道活動、聖書講義を行う。聖書講義内容は『赤山講話』として出版される。〔島根県松江市北堀町赤山にてバックストン邸にて「赤山講話」が始まる。本:赤山講話(福田平治の博広社印刷)松江のバックストン活躍写真有り;福田平治・孫:福田良子所蔵 (イギリス社会福祉について教え、後の「山陰社会事業の父-福田平治」をキリスト教へ導いた)〕
竹田俊造三谷種吉堀内文一らがバックストンのもとで修養生活を行う。エミー・カーマイケルがバックストンの元で15ヶ月間滞在。
*1894年 休暇のためにイギリスへ一時帰国する。
*1897年 バックストンの協力者としてバゼット・ウィルクス宣教師夫妻が来日。
*1898年7月 - 1899年5月 イギリスに一時帰国。
*1902年2月 イギリスに帰国。
*1903年 バックストンとウィルクスがイギリスでケズィック・コンベンションに参加した際に、日本伝道隊を設立。バックストンが総理、ウィルクスが日本駐在主幹になる。
*1904年 日本伝道隊が神戸を本拠地として日本での活動を始める(竹田俊造御牧碩太郎三谷種吉)。
*1907年 日本伝道隊聖書学校(現:関西聖書神学校の前身)が神戸市平野に設立される。
*1913年 - 1917年 再来日し伝道活動を再開。有馬東京で聖会を開催する。神戸聖書学校で教鞭を執る。(この時の神学生に、沢村五郎舟喜麟一柘植不知人佐藤邦之助小島伊助野畑新兵衛らがいる)
*1921年 - 1935年 ロンドン郊外のタンブリッジウェルズの教会の牧師を努める。
*1935年 牧師を引退し、ロンドン郊外のウィンブルドンに住む。リッジランド聖書学院の講義を受け持つ。
*1937年 再び来日し半年間全国を巡回し、125回の講演を行い、後にイギリスに帰る。
*1946年2月5日 イギリスで死去(85歳) 

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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