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ニッポンシネマコーポレーション : ミニ英和和英辞書
ニッポンシネマコーポレーション[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ニッポンシネマコーポレーション : ウィキペディア日本語版
ニッポンシネマコーポレーション[ちょうおん]

株式会社ニッポンシネマコーポレーション(Nippon Cinema Corporation, 1948年3月 - 1961年7月 合併)は、かつて存在した日本の映画会社である。略称はNCCである。1960年代後半に日本で配給業務を行ったニュー・シネマ・コーポレーション(NCC)とは別の企業である。
== 略歴・概要 ==
1945年(昭和20年)8月15日の第二次世界大戦終了以降、日本でもアメリカ映画を中心とした連合国の映画が解禁になり、同社は、1948年(昭和23年)3月、その流れのなかで設立され〔『戦後日本のメディア・イベント 1945-1960年』、津金澤聰廣世界思想社、2002年3月 ISBN 4790709175, 年表。〕、広く欧米の映画を日本に紹介した。
アメリカのインディペンデント映画会社であるリパブリック・ピクチャーズと共同で同社の映画を配給するほか、英国映画協会の日本事務所と組んでイギリス映画イタリフィルムと組んでイタリア映画等を配給したほか、北欧映画外映協日活大映とも共同配給を行った。戦前に製作された作品も、さかのぼって初公開した。
同社の会長を務めた曾我正史は、戦前の映画監督・振津嵐峡としても知られ、戦後大映の専務取締役、1958年(昭和33年)には大映を退社し、日映を設立した人物である〔『日本映画発達史 IV 史上最高の映画時代』、田中純一郎、1976年3月10日 ISBN 4122003156, p.451.〕。また会長を歴任した加藤辰彌外国映画輸入協会会長も務めた。
1957年(昭和32年)、ヘラルド映画が北欧映画と合併し、1960年(昭和35年)からはヘラルド映画とも共同配給を進めたが、1961年(昭和36年)7月、ヘラルド映画株式会社と合併して、日本ヘラルド映画株式会社(現在の角川映画)となり、消滅した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ニッポンシネマコーポレーション」の詳細全文を読む




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