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ニコラス・ディンスモア : ミニ英和和英辞書
ニコラス・ディンスモア
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ニコラス・ディンスモア : ウィキペディア日本語版
ニコラス・ディンスモア

ニコラス・ディンスモア(''Nicholas Dinsmore''、1975年12月17日 - )は、アメリカ合衆国プロレスラーインディアナ州ジェファーソンビル出身。
WWEでのリングネームユージン(''Eugene'')。WWEが「Eugene」の商標権を保持しているためインディー団体では「U-Gene」表記にしている。
== 来歴 ==
WWFの傘下団体であるOVWにてミスターレスリングギミックでその名に恥じないリングワークでOVWヘビー級王座を9回獲得。また、ロブ・コンウェイとのタッグチームであるロード・オブ・ザ・リングでOVW南部タッグ王座を11回獲得。
2003年にWWEに昇格し、PPVであるヴェンジェンスにてドインク・ザ・クラウンとして登場したが、自身のデビューはしばらく先となる。
2004年にディンスモア自身のアイデアで生まれたユージンという知的障害ギミックでデビュー。エリック・ビショフの甥という設定であり、知的障害ながらもレスリング技術は天才的。ビショフに教育係兼コーチを任されたウィリアム・リーガルも舌を巻くほどの技術で、一度見た昔の有名レスラーの必殺技もリングで出してしまう程であった。一方ビショフはユージンの存在を良くは思っておらず、トリプルHが率いるヒールユニットエボリューションと組んで始末しようとするがユージンの奔放な行動にかき回されなかなか計画通りに行かず、結局エボリューションの怒りを買って襲撃されてしまう。
エボリューションとの抗争以降はリーガルと組んで世界タッグ王座を獲得した。
2005年ニュー・イヤーズ・レボリューションの試合中に怪我をし、一時WWEを離脱する。しかし人気レスラーであるため、レッスルマニアのプロモCMへの出演、および怪我が完治する前にレッスルマニア21への登場を果たす。レッスルマニア21ではモハメド・ハッサンに襲撃され、ハルク・ホーガン登場のきっかけをつくった。
怪我から復帰した後はRAWに移籍してきたカート・アングルと金メダルを賭けて抗争した。
2005年11月、ヨーロッパ遠征中に鎮痛剤の副作用により緊急入院。その後の欠場期間中にそのままWWEとの契約が切れてしまうのではとの噂もあったが、2006年ロイヤルランブルで電撃復帰した。
2006年に入ってからは、ジム・ドゥガンと多くタッグを組んでいた。またビンスとD-Generation Xの抗争時は、D-Generation Xの行いを喜んでいる所を見つかってビンスの怒りを買い、黄緑色のペンキをかけられてしまった。そのためその後しばらくはコスチュームにはペンキが付いたままになっていた。
2007年レッスルマニア23前にはビンス・マクマホンに飲み物をかけてしまい、バトル・オブ・ビリオネアーズに向けた見せしめに丸坊主にされてしまった。6月のWWEドラフトによってスマックダウンへと移籍したが
9月1日にWWEを解雇された。OVWに戻って9回目のヘビー級王座を戴冠した後は、活躍の場をインディー団体に移行。
2009年7月にWWEと再契約する。契約後は主にハウスショーで試合を行い、8月10日のRAWで再契約後初めてテレビ出演する。WWEとの契約(アングル上)を懸けたポール・マッチでカルガリー・キッド(覆面をしたザ・ミズ)に敗れ、試合後もミズに暴行を受ける。8月14日にはWWEから再解雇となった。
2010年から再び各インディー団体で活動するようになり、4月24日にはTAJIRIが旗揚げした団体であるSMASH2に参戦が決まり来日。TAJIRIとセミファイナルで対戦し、敗戦。また古巣であるOVWではニック・ディンスモアとしてトレーナー兼任で復帰し、2011年に自己最高である10度目のOVWヘビー級王座を戴冠した。
2013年9月、WWEにて新設された新人育成施設であるWWEパフォーマンスセンターのトレーナーとして契約したことが発表された〔WWE Signs Nick Dinsmore AKA Eugene as Trainer for New Performance Center Bleacher Report、2013年9月20日閲覧。〕が2014年10月にWWEを解雇された〔WrestlingView.com:WWE RELEASES NXT TRAINER NICK DINSMORE ON THURSDAY 2014年10月2日閲覧 。〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ニコラス・ディンスモア」の詳細全文を読む




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