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ニコライ・ダビデンコ : ミニ英和和英辞書
ニコライ・ダビデンコ[びで]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ビデ : [びで]
 (n) bidet, (n) bidet

ニコライ・ダビデンコ : ウィキペディア日本語版
ニコライ・ダビデンコ[びで]

ニコライ・ダビデンコNikolay Davydenko, , 1981年6月2日 - )は、ロシアの男子プロテニス選手。赤土のクレーコートを最も得意としている。シングルス自己最高ランキングは3位。ATPツアーでシングルス21勝、ダブルス2勝を挙げた。身長178cm、体重70kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
2009年ATPワールドツアー・ファイナル優勝。ATPワールドツアー・マスターズ1000に優勝3回。
==選手経歴 ==
ダビデンコはウクライナのセベロドネツクに生まれ、7歳から兄と一緒にテニスを始めた。15歳の時に家族でドイツへ引っ越し、18歳の時にロシア国籍を取得した。彼の両親はロシアに在住している。1999年にプロ入り。2001年全豪オープン4大大会にデビューし、2回戦でパトリック・ラフターに挑戦した。2003年から世界的な躍進を始め、年頭のネクストジェネレーション・アデレード国際でツアー初優勝を果たす。この年から、ダビデンコは男子テニス国別対抗戦・デビスカップロシア代表選手になる。4月にポルトガルエストリルの大会でも優勝し、この年に初めて世界ランキングトップ50位以内に入った。2004年も年間2勝を挙げ、同年のアテネ五輪にもロシア代表として出場したが、シングルス1回戦でスイスロジャー・フェデラーに敗れた。
2005年にニコライ・ダビデンコは世界のトップ選手へと躍進し、全豪オープンで初めて準々決勝に進出した(アンディ・ロディックに敗退)。そして全仏オープンで、ダビデンコは準決勝に駒を進めたが、アルゼンチンマリアノ・プエルタに 3-6, 7-5, 6-2, 4-6, 4-6 のフルセットで敗れ、決勝進出を逃した。同年末に、世界ランキング8位以内の選手しか出場できない男子テニス年間最終戦「テニス・マスターズ・カップ」にも初めて出場資格を獲得し、アルゼンチンダビド・ナルバンディアンとの準決勝まで勝ち進んだ。
2006年全米オープンで自身2度目のベスト4入りを果たしたが、準決勝で第1シードのロジャー・フェデラーに 1-6, 5-7, 4-6 のストレートで敗れている。この年は男子テニスツアーで自己最高の年間5勝を挙げ、世界ランキングも自己最高位の3位まで躍進した。
ダビデンコはデビスカップロシア代表選手として、2006年にロシア・チームの4年ぶり2度目の優勝に貢献した。12月1日-3日にロシアの首都・モスクワにある「オリンピック・スタジアム」でアルゼンチンとの決勝戦が行われた時、ダビデンコはシングルス2試合に出場し、第1試合でフアン・イグナシオ・チェラに勝ったが、第4試合ではダビド・ナルバンディアンに敗れ、この決勝戦では1勝1敗の成績を残した。デ杯終了後に結婚。
2008年3月末に行われたマイアミ・マスターズで、ダビデンコは準決勝で地元アメリカのアンディ・ロディック、決勝でラファエル・ナダルを破り、自身2度目のATPマスターズシリーズ大会制覇を果たした。年末のツアー最終戦では決勝戦まで進出したがノバク・ジョコビッチに 1-6,5-7 で敗れ準優勝に終わった。
2009年は手首の怪我で出遅れたが全仏オープン前に復帰し、ロビン・セーデリングとの準々決勝まで進出した。全米オープンでは4回戦で敗退したが、その後上海マスターズではラファエル・ナダルを破って優勝した。
さらに年末のATPワールドツアー・ファイナルではこれまでツアーで1度も勝てなかったロジャー・フェデラーを準決勝で下し、決勝では当年の2009年全米オープン覇者であるフアン・マルティン・デル・ポトロを 6-3,6-4 で下し初優勝を果たした。この年は同郷の先輩で元世界1位のマラト・サフィンが引退した年であり、さらにツアー最終戦ではこの年の四大大会優勝者を全員破っての優勝だったため、ロシアテニス界の第一人者であることを印象づける勝利にもなった。
2010年カタール・エクソンモービル・オープンラファエル・ナダルを 0–6, 7–6(8), 6–4 で破りツアー20勝目を挙げた。全豪オープンではベスト8に進出したが、その後は調子を落とし、前年優勝の最終戦への出場を逃しランキングを大幅に下げてしまった。
ダビデンコは2014年全仏オープンが最後の出場になり10月に現役引退を発表した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ニコライ・ダビデンコ」の詳細全文を読む




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