翻訳と辞書
Words near each other
・ ドランクドラゴンのオールナイトニッポンR
・ ドランクドラゴンのドラゴンアワー
・ ドランクドラゴンのドラゴンタイム
・ ドランクドラゴンのバカ売れ研究所!
・ ドランクバイヤーちどり
・ ドランクモンキー 酔拳
・ ドランクンタイガー
・ ドランクヴィーナスちどり
・ ドランシ
・ ドランシー
ドランシー収容所
・ ドランスフェルト
・ ドランドの悲劇
・ ドランド・ピエトリ
・ ドランブイ
・ ドランメン
・ ドラヴァ
・ ドラヴァ川
・ ドラヴィア (ジャイナ教)
・ ドラヴィタ人


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ドランシー収容所 : ミニ英和和英辞書
ドランシー収容所[どらんしーしゅうようしょ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
収容 : [しゅうよう]
  1. (n,vs) (1) accommodation 2. reception 3. housing 4. (2) seating 5. (3) custody 6. (4) admission 7. (5) entering (in a dictionary) 
収容所 : [しゅうようじょ]
 【名詞】 1. home 2. asylum 3. camp 
: [ところ, どころ]
 (suf) place

ドランシー収容所 : ウィキペディア日本語版
ドランシー収容所[どらんしーしゅうようしょ]

ドランシー通過収容所camp d'internement de DrancySammellager Drancy、もしくはDurchgangslager Drancy)は、ナチス・ドイツフランスパリの北東のドランシー市(セーヌ=サン=ドニ県)に設置したユダヤ人移送のための収容所。フランスのユダヤ人ポーランド絶滅収容所へ移送するまで仮に収容しておく通過収容所だった。1941年8月の設立から1944年8月の解放までの間におよそ7万人のユダヤ人がドランシーからアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所などへ移送されている。フランスにおけるホロコーストの鍵となる地であった。
ドランシー収容所は1943年7月1日までドイツの秘密警察ゲシュタポSDの監督の下にフランス人官吏によって運営されていたが、1943年7月2日からはゲシュタポ・ユダヤ人課課長アドルフ・アイヒマン親衛隊中佐の補佐官アロイス・ブルンナー親衛隊大尉によって直接に運営された。結果、収容者の環境は一段と悪化し、アウシュヴィッツへの移送は強化された。
1942年6月から1944年7月までの間に64回の移送作業があり、これにより計61,000人が移送されている。このうち61回の移送はアウシュヴィッツ、3回の移送はソビボル強制収容所だった。フランスから強制移送されたユダヤ人の十人中九人がドランシー収容所を通過したという。
収容所施設は1931年 - 1934年にウジェーヌ・ボードゥアンマルセル・ロッズ、ヴラディミール・ボディアンスキー、ジャン・プルーヴェによって設計された高層集合住宅団地シテ・ド・ラ・ミュエットを転用したものである。現在では大半が取り壊されたが、1棟は記念施設を付与して低所得者向け住宅として現用されている。
また第二次世界大戦末期の1945年、イタリア・ドイツ敗戦の結果フランス在住の日本人は敵国人としてパリの中央監獄およびドランシ-の収容所へ収監された。

その中の著名な人物に画家の長谷川潔がいる。

== 著名な囚人 ==

*ルネ・ブルム:バレエ振り付け師レオン・ブルムの弟。1943年にアウシュヴィッツで死亡
*トリスタン・ベルナール:劇作家。1943年に釈放。
*マックス・ジャコブ:詩人。1944年に同地で病死。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ドランシー収容所」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.