翻訳と辞書
Words near each other
・ ドゥアンチャイ・ピチット
・ ドゥアン・スンナラート
・ ドゥアン・プラティープ財団
・ ドゥイスブルク
・ ドゥイノ
・ ドゥイノの悲歌
・ ドゥイノ悲歌
・ ドゥイベンドレヒト駅
・ ドゥイユ=ラ=バール
・ ドゥイヨン
ドゥイーノ
・ ドゥイーノ=アウリジーナ
・ ドゥウェイン・マーフィ
・ ドゥウェイン・マーフィー
・ ドゥウェイン・ラドウィック
・ ドゥウェル湖
・ ドゥウォーキン
・ ドゥエイン・ギル
・ ドゥエイン・ジョンソン
・ ドゥエイン・ホージー


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ドゥイーノ : ミニ英和和英辞書
ドゥイーノ[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ドゥイーノ : ウィキペディア日本語版
ドゥイーノ[ちょうおん]

ドゥイーノ(Duino) (, ) は北東イタリア、フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州トリエステ県ドゥイーノ=アウリジーナ、コムーネ内のアドリア海岸にある村()である。
==説明==

1950年代までドゥイーノは主にスロベニア語が話される村でイタリア語話者は少数派だった。 1910年最後のオーストリア国勢調査によれば村民の63.5% はスロベニア人、25.1% はイタリア人だった。(残りはドイツ語話者またはその他外国人).〔http://www.sistory.si/publikacije/prenos/?urn=SISTORY:ID:836〕 1921年のイタリア国勢調査ではスロベニアの民俗的特徴が再確認されスロベニア語話者は 78.4% に増加してさえいた。 (大部分はドイツ人とオーストリア人が出て行った結果である).〔''Oko Trsta'' (Belgrade: DIZ, 1945), 157〕 しかしトリエステ自由地域(1947–1954)の期間中、民族構成は相当変化した。ユーゴスラビアから脱出( 参照)したがドゥイーノに住み付いた。今日ではドゥイーノはイタリア語話者が多数であり、スロベニア語は少数である。多くの標識は両言語で書かれ、ドゥイーノ=アウリジーナの官公庁は公式にバイリンガルである。
ドゥイーノは物理学者ルートヴィッヒ・ボルツマンが自殺した地として著名であり、詩人リルケが触発されてドゥイノの悲歌を書いた地でもある。 また有名なスロベニア語の民俗伝承''Lepa Vida'' が起きた場所でもある〔http://www.kam.si/izleti/devin_na_skrajnem_severu_sredozemlja.html〕


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ドゥイーノ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.