|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 将 : [しょう] 【名詞】 1. commander 2. general 3. leader ・ 将校 : [しょうこう] 【名詞】 1. commissioned officer ・ 校 : [こう] 1. (n,n-suf) -school 2. proof ・ 同 : [どう] 【名詞】 1. the same 2. the said 3. ibid. ・ 同盟 : [どうめい] 1. (n,vs) alliance 2. union 3. league
ドイツ将校同盟(ドイツしょうこうどうめい、)は、ソビエト連邦の赤軍によって捕虜とされていた、ドイツ国防軍将校らによって設立された組織。1943年9月11日ないし12日、モスクワ・ルニョヴォ捕虜収容所にて捕虜将校団95名が設立し、まもなく自由ドイツ国民委員会と合流し、同委員会の一部門として存続した。 ==第二次世界大戦期== ドイツ将校同盟設立時の理念は、ナチス・ドイツの敗色が濃厚な中でもソビエト連邦への協力を通じてドイツ国再建へ貢献する事とされた。主な指導者は第51軍団司令官ヴァルター・フォン・ザイドリッツ=クルツバッハ砲兵大将と第376歩兵師団長アレクサンダー・エドラー・フォン・ダニエルス中将で、のちには第6軍司令官のフリードリヒ・パウルス元帥も加わった。ドイツ将校同盟はビラやラジオ放送を通じ、ドイツ兵に対してアドルフ・ヒトラー及びナチ党の独裁体制への抗戦を訴えた。スターリングラードの戦い前後の命令が原因で、一部のドイツ軍人はヒトラーが軍事的に無能であり、国防軍に対して誤った作戦指導を行っていると見なしていた〔Bodo Scheurig: ''Freies Deutschland. Das Nationalkomitee und der Bund Deutscher Offiziere in der Sowjetunion 1943–1945.'' Köln 1984, S. 35-43; Constantin Goschler, ''Wiedergutmachung'', 1992, S. 30〕。 戦争終結と民主的ドイツの建国など輝かしい目標を掲げて設立されたドイツ将校同盟だったが、旧ドイツ共産党員らで首脳部を構成した自由ドイツ国民委員会と異なり、将校の多くはソ連当局に恭順しなかった為、最後までソ連当局にとって信頼しうる組織とはなりえなかった。自由ドイツ国民委員会との合流後は完全にソビエト連邦の政治的・イデオロギー的管理下に置かれた。さらにテヘラン会談後には英米との同意に基づいて権限・規模が段階的に縮小され、ドイツの占領体制が確定すると急速に存在意義を喪失した。1945年11月2日、ヨシフ・スターリンによって解散命令が下された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ドイツ将校同盟」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|