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トゥドハリヤ2世 : ウィキペディア日本語版
トゥドハリヤ2世[とぅどはりや2せい]
トゥドハリヤ2世Tudhaliya II, ?‐紀元前1355年頃)は、ヒッタイトの大王。
== 事績 ==
紀元前1375年頃に先王アルヌワンダ1世を継いで大王に即位。しかし先王は多くの問題を残していた。外敵の侵入である。
北方のカシュカ族はヒッタイト領内への侵入を繰り返していたが、組織的でないその行動(ゲリラ戦?)に逆に惑わされて有効な手を打てなかった。カシュカ族はマラシャンタクズルウルマク)の南のネナッサまで侵入し、首都ハットゥシャまで破壊され、王宮は一時東方のサムハに移転した。病身のトゥドハリヤは優れた軍人であった息子のシュッピルリウマに北方征伐を行わせたが、長らく成果は得られなかった。ハットゥシャ東方のアッジ(あるいはハヤサ)もヒッタイトの中核地を攻撃した。こちらは二度にわたる遠征で降伏させることが出来た。南方のは従来のような属国ではなく、よく直接統治が行き届いた。タルフンタラドゥ王が治める西方の国はカッパドキア地方のティワヌワ(ティアナ)まで侵入し、エジプトアメンホテプ3世に娘を差し出して接近を図った。
トゥドハリヤ2世の死期が迫ると、貴族たちは息子のトゥドハリヤ3世に忠誠を誓い次代の大王と認めた。紀元前1355年頃にトゥドハリヤ2世は死んだ。なお以前はトゥドハリヤ1世の前に別の「トゥドハリヤ」という大王がいたとされていたので、この2世が「3世」と呼ばれ、次代の3世と混同されていたが、現在はトゥドハリヤ1世以前の大王「トゥドハリヤ」の存在は否定され、2世と3世も別人とされている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「トゥドハリヤ2世」の詳細全文を読む




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