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テュークスベリーの戦い : ミニ英和和英辞書
テュークスベリーの戦い[てゅーくすべりーのたたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

テュークスベリーの戦い : ウィキペディア日本語版
テュークスベリーの戦い[てゅーくすべりーのたたかい]

テュークスベリーの戦い(''Battle of Tewkesbury'')は、1471年5月4日にグロスターシャーのテュークスベリーで行なわれた戦いである。この戦いで、薔薇戦争は大きな節目を迎える。
それはランカスター派の「イングランドの王位奪還」という悲願に、一時的な終末をもたらした。 次のヘンリー・テューダー王朝誕生という政治クーデターの形でヨーク家ランカスター家の紛争に決着がつくまで、14年間の平和が訪れる。
== 戦闘の背景 ==
この戦闘の時点で、精神的に不安定なランカスター家の王ヘンリー6世は、彼のライバルで戦闘では無敗を誇るヨーク家のエドワード4世によって、2回目の退位をさせられたところであった。即位・退位を繰り返すこの状況の変化は、「キングメーカー」と称されるウォリック伯の干渉によるものだった。彼はまずエドワード4世を支援し、後にヘンリー6世を支援した。だが、そのウォリック伯も既に亡く(この3週間前のバーネットの戦いで殺されている)、残ったランカスター派の軍隊は、ヘンリー6世の王妃マーガレットとその息子で17歳になる王太子エドワードによって指揮されていた。もしマーガレットがウォリック伯の敗戦の時にイングランドに戻って来ていて、彼女と同盟を結んでいたベッドフォード公ジャスパー・テューダー(ヘンリー・テューダーの叔父)と組んでバーネットの戦いに参陣していたら、エドワード4世のヨーク派軍に対抗できる可能性も残っていただろう。
彼女の唯一の希望はグロスターセヴァーン川を渡ることであったが、これはグロスターの町と城を治めるヨーク派のリチャード・ボーシャン卿(Sir Richard Beauchamp)に拒否されて失敗した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「テュークスベリーの戦い」の詳細全文を読む




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