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チャールズ・ヒューバート・パリー : ミニ英和和英辞書
チャールズ・ヒューバート・パリー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

チャールズ・ヒューバート・パリー : ウィキペディア日本語版
チャールズ・ヒューバート・パリー[ちょうおん]

初代准男爵サー・チャールズ・ヒューバート・ヘイスティングス・パリーSir Charles Hubert Hastings Parry, 1st Baronet, 1848年2月27日 - 1918年10月7日)は、イギリス作曲家教育者である。
ウィリアム・ブレイクの詩に曲をつけた、イングランドで国民的に愛唱される合唱曲《イェルサレム》によって有名。ミドルネームの「ヘイスティングス」にあたる部分は英国でも「H.」と略記することが普通である。
== 生涯 ==
パリーは1848年ハンプシャー州ボーンマスに生まれ、グロスターシャーに育った。イートン・カレッジとエグゼスター・カレッジで教育を受け、シュトゥットガルトで英国人作曲家のヘンリー・ヒューゴー・ピーアソンに、ロンドンで作曲家ウィリアム・スタンデール・ベネットとピアニストで音楽史家のエドワード・ダンロイターに師事する。最初の主要な作品は1880年に作曲されたピアノ協奏曲と、シェリーの詩による合唱曲『縛められたプロメテウス』であった。後者の初演によってイギリス音楽の「ルネサンス」が始まったと言われるが、しかし、オード ''"Blest Pair of Sirens"'' (1887年) のほうが成功した作品であり、これによってイングランドの指導的な合唱曲の作曲家という評価を得た。一連の合唱曲の中で最も成功した作品は、『聖セシリアの日のオード』(''"Ode on Saint Cecilia's Day"'')(1889年)やオラトリオ『ユーディット』、『ヨブ』(それぞれ1888年1892年)、詩篇唱『深き淵より』(''"De Profundis"'')(1891年)、カンタータ『ハーメルンの笛吹き』(''"The Pied Piper of Hamelin"'')(1905年)である。この時期の管弦楽曲は4つの交響曲のほか、『書かれざる悲劇への序曲』(''"Overture to an Unwritten Tragedy"'')(1893年)、『ブラームスへの哀歌』(''"Elegy for Brahms"'')交響的変奏曲(''Symphonic Variations'')(1897年)がある。
1884年王立音楽大学の教員となり、1894年には学長に任命され、その後生涯その地位にあった。1900年ジョン・ステイナーを継いでオックスフォード大学音楽科の教授に就任した。後期の作品では6つの「倫理的なカンター」の連作があり、その中で伝統的なオラトリオやカンタータの形態を乗り越えようとしたが、聴衆からは好評を得ることができなかった。しかし、エルガーは『生命の幻影』(''"The Vision of Life"'')(1907年)に称賛を惜しまず、『魂のあがない』(''"The Soul's Ransom"'')(1906年)は近年になって数回演奏されている。1908年に医師の助言でオックスフォード大学を辞任し、その後いくつかの最も優れた作品を書き上げた。当時の主な作品は、交響的幻想曲(交響曲 第5番)(''Symphonic Fantasia'')、『降誕祭のオード』(''"Ode on the Nativity"'')(ともに1912年)、『イェルサレム』(1916年、管弦楽伴奏はエルガーの編曲による)、『告別の歌』(1916年1918年)が挙げられる。1914年交響詩『死から生へ』(''"From Death to Life"'')(1914年)は持続力に欠け、やや散漫である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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