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カンタータ : ミニ英和和英辞書
カンタータ[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

カンタータ : ウィキペディア日本語版
カンタータ[ちょうおん]

カンタータcantata, Kantate, cantate、交声曲)とは、単声または多声のための器楽伴奏付の声楽作品をいう。元来は動詞「歌う(cantare)」の分詞形であり、「歌われるもの」を意味する。典型的なカンタータは、17世紀後半にイタリアで作曲された、レチタティーヴォアリアからなる独唱通奏低音のための歌曲であり、18世紀前半のドイツでは、コラールを取り入れた教会カンタータが、18世紀のフランスでは一人または数人の歌手と通奏低音のほか、しばしば小編成の器楽を伴う世俗カンタータが数多く作曲されている。一方、19世紀以降、カンタータは合唱管弦楽のための多種多様な作品を表すものとなった。
==18世紀までのカンタータ==

===イタリア===
カンタータという名称が付された最初の音楽作品は、今日知りうる限り、1589年シェーナで出版された、チェーザレ・デステとヴィルジニア・デ・メディチの結婚式のための『カンタータ・パストラーレ(Cantata pastorale)』である。最初期のカンタータは様式的に確立しておらず、エレアノール・カルオーリは、1670年頃までのカンタータを、単一のアリアからなる「アリエッタ・コルタ(arietta corta)」と、歌詞に応じてアリアとレチタティーヴォが使い分けられる「アリエッタ・ディ・ピウ・パルティ(arietta di più parti)」とに分類している。実際、アレッサンドロ・グランディ1575年頃 - 1630年)やルイジ・ロッシ1597年頃 - 1653年)が作曲したカンタータの多くは、モノディ様式による有節変奏形式の作品である。これに対して、ジャコモ・カリッシミ1605年 - 1674年)やアントニオ・チェスティ1623年 - 1669年)が作曲したカンタータになると、一般に複数のアリアを含み、レチタティーヴォ、アリオーソ、アリアの区別が明確になっており、レチタティーヴォにおいては、歌詞の盛り上がりとともに叙情的になり、アリオーソへと移行する。
当時のイタリアにおけるカンタータは、擬人化された魂や肉体が登場する倫理的な作品もあるが、大半は牧歌的ないし歴史的題材による恋愛を扱ったものであり、オペラの一情景に似ていたが、演技等を伴うことはなく、音楽・歌詞のいずれにおいてもより親密な雰囲気を有していた。カンタータ作曲の中心となったのはローマであり、多くは高い鑑賞能力をもった少数の貴族階級のパトロンのために演奏されることを目的として作曲され、広いオペラ劇場では失われがちな洗練された趣味と、時に実験的な要素を含むものであった。
17世紀末から18世紀初頭にかけて、イタリア音楽全般を通して形式化が進展し、主題の有機的な使用や近代的な調体系が明確に意識されるようになるのとあわせて、カンタータにおいても、レチタティーヴォとアリアが一段と区別され、アリアは拡大されて独立した楽章となる。こうした展開は、アレッサンドロ・ストラデッラ1644年 - 1682年)等によってすすめられ、アレッサンドロ・スカルラッティ1660年 - 1725年)の作品において典型的に示される。スカルラッティが作曲した約600曲のカンタータのうち、約500曲はソプラノ独唱と通奏低音のための作品であり、初期のカンタータにおいては先行する世代の作曲家の影響を残しているが、1703年からの第2次ローマ時代に作曲したカンタータでは、2曲のダ・カーポ・アリアの前にそれぞれレチタティーヴォを伴う楽章編成が基本となり、これが18世紀を通して世俗カンタータの標準的な様式となる。さらに、晩年に作曲したカンタータでは、半音階的和声と大胆な転調による豊かな表現が追求され、ヨハン・ダーフィト・ハイニヒェンによって「法外かつ非常識な和声」と評されるまでになる。
スカルラッティの没後、室内カンタータの作曲は、ジョヴァンニ・ボノンチーニ1670年 - 1747年)、レオナルド・ヴィンチ1690年 - 1730年)、レオナルド・レーオ1694年 - 1744年)等に引き継がれるが、ヴィンチやレーオのカンタータにおいては、4声の弦楽合奏と通奏低音による伴奏が一般的となり、18世紀の後半に至ると、オペラにおけるシェーナとアリアとほとんど区別がなくなって、独立した形式は失われることとなった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「カンタータ」の詳細全文を読む




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