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ダンプ松本 : ミニ英和和英辞書
ダンプ松本[だんぷまつもと]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ダンプ : [だんぷ]
  1. (n,vs) dump 2. (n,vs) dump
: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 

ダンプ松本 : ウィキペディア日本語版
ダンプ松本[だんぷまつもと]

ダンプ松本(ダンプまつもと、1960年11月11日 - )は、日本の女子プロレスラータレント。本名・松本 香(まつもと かおる)。
身長163cm、体重91kg、血液型B型。埼玉県熊谷市出身。えりオフィス所属。
「D・松本」と表記されることもある。
== 人物 ==
幼いころから父親の金銭、DV、女性問題等で苦労していた最愛の母親のために家を買って建ててあげたいという思いで、ビューティーペアに憧れて女子プロレスラーになることを志す。デビュー後の1984年、一番弟子のブル中野らとヒールタッグチーム極悪同盟』を結成。翌年にフジテレビで放送されていた『全日本女子プロレス中継』でヒールにもかかわらず人気を博し、クラッシュギャルズライオネス飛鳥長与千種が当時結成していたコンビ名)との抗争は女子プロレスを大いに盛り上げた。長与千種とは2度にわたり、敗者髪切りデスマッチを行った。
リングネームの「ダンプ」は、本名時代のファイトを観たある客が「あいつ、ダンプみてえだ!!」と口走ったことに由来するとされる。全日本女子プロレスの松永高司会長は、このエピソードを引き合いに出して「スターはお客さんがつくってくれるんですよ」と語ったことがある〔 雑誌「Sports Graphic Number」のミニインタビューにて。〕。ダンプは松永会長からは生前には大変に可愛がってもらったとインタビューなどで語っている。
得意技はラリアット。そのパワーを利して喉元にぶち当てる一撃は強烈で、相手が空中で一回転したこともあった。
悪役レスラー当時、ダンプのアンチが実家に押しかけ、「ダンプ出て来い!」と玄関を叩きながら大声で叫ぶ、玄関先にダンプを中傷する張り紙を貼る、窓ガラスを割られる、といった嫌がらせを受けたことが何度もあり、母親に怖い思いをさせてしまったために一時は悪役レスラーを辞めようかとも考えたが、その当時はまだ給料も少なくとても貧しかったので、つらい中でも必死で頑張ったという。努力の甲斐あって、デビューから5年後には、地元に念願だった新築一軒家を購入して母親にプレゼントしている。
母親は、リングでの凶行が演技だと知っていても、自分の娘が人様の娘をいたぶる姿に抵抗を感じていたそうで、試合会場へ観戦に訪れていた時には、毎回ケガをさせた対戦相手の元に謝罪に訪れていたといい、ダンプも母親に「試合中のケガの事で親が出てくるのは恥ずかしいから謝りに行かなくてもいいからね。」とよく話していたという〔スポーツニッポンのコラム「母」でダンプ自身が著述。他にテレビ番組でのトークや週刊FLASHの取材でも事実と認めている。〕〔ダンプ松本 Wikipedia「怪我をさせた対戦相手に母が謝罪」真相を本人直撃-光文社・週刊FLASH 2012年5月8日・15日合併号 〕。
リング上でダンプがよく手にしていた凶器は当初は金属チェーンや鞭だったが、振り回した時に自分に当たりそれがとても痛かったことや、場外乱闘中にフジテレビで放送されていた 「全日本女子プロレス中継」 の常連ゲストの一人だった松岡きっこに誤って当てて指を負傷させてしまってからは現在の竹刀に替えた。ほかにもフォークやハサミ、一斗缶なども試合中には多用した。中継試合にゲストで招かれたタレントを威嚇 (いかく) して絡むのが定番だった。
しかしゲストの一人だったガッツ石松がそれに対して本気で怒り、殴りかからんばかりに向かってきた時には内心怖くて逃げ出したかったが、テレビカメラの前だったので平静を装ったという。また、試合前の入場時や試合後に控え室に引き上げる際、テレビカメラマンを竹刀で頻繁に攻撃するのも定番であった。 ( 当時極悪同盟側についていたレフリーの阿部四郎も、松本に便乗して同じ様にテレビカメラマンを蹴ったり物をぶつける等をして攻撃していた事もあった ) 。
凶器を多用した試合内容の反面、危険度の高い技の使用を控えている。流血した際は麻酔なしで結合させられ、ダンプ自身が抜糸を行っていた〔ダンプ松本 1試合3万5千円だった デイリースポーツ 2015年12月20日〕。仲が良くて飲み仲間でもあったプラム麻里子の試合中の事故の際、マスコミに対して「最近危険な技が増えてきていて、いつも危ないと思うことがある。いくら体は鍛えられても頭だけは鍛えることができない」と涙ながらに応えていた。
試合中の奇抜なメイクは、ダンプの素顔が童顔で笑うとえくぼが出てしまい、ヒールレスラーでありながら可愛く見えてしまうことを避けるためで、キッスのメイクを参考にした。コスチュームは自己負担だった〔。
ピーク時の1試合当たりのギャラは3万5千円で、月収は100万〜200万円であった。ヒールキャラが受けてバラエティ番組に出演するようになると、月収500万円の時もあったという〔。
リング上ではヒールに徹するが、リングを降りれば涙もろく人情に篤い性格で後輩達の悩み事や相談などを親身になって聞いてアドバイスしたり、引率して飲食に連れて行く等と面倒見がとてもよかったために今でも多くの後輩レスラーから慕われている。またレスラー以外にも広く人望があり、多くの芸能人などとも幅広い交際範囲を持っている。
ダンプの人柄を示すエピソードとして、ブル中野や小松美加コンドル斉藤北斗晶が一度だけ先輩のいじめやシゴキに耐えられず地方興行中に集団脱走して翌日全女の寮へ戻り、先輩たちに見つからないように隠れていたところをダンプに見つかってしまい、叱られると思い言葉を失っていたところ、ダンプは「おかえり。心配しなくても大丈夫だからね。」と優しく声をかけ、みんなで思わず抱き合って泣いてしまったという逸話がある。ダンプ自身もデビュー前や新人時代には先輩・同期・フロントの各方面から理不尽なシゴキ・いじめに耐えていたことを明らかにしており、後輩には自分がされてきたような理不尽なシゴキ・いじめなどは絶対にしなかったという。
ただし同じヒール軍団の一員であった若手時代のアジャ・コングは松本に余り可愛がられず(アジャがプロレスデビュー前から熱狂的な長与千種ファンであったことは周囲に知られていて、アジャ本人はベビーフェイス志願だった)、アジャはダンプに対して新人時代には試合中に凶器を渡すミスをして殴られたりしたそうで「自分の中ではダンプさんとは合わなかった」と評している〔柳澤健『1993年の女子プロレス』(2011年 双葉社 ISBN 9784575303261 P68)〕。
クラッシュギャルズの二人とは同期でもありデビュー前から現在まで仲が良いが、当時の全女ではベビーフェイスとヒールが公の場で話をしたり仲良くすることは厳禁であったため、クラッシュギャルズファンに仲良しの場面を見られないようにとプライベートでも徹底してヒールを演じ、引退までは自分からわざと口を利かなかったことも語っている。また全女時代は自身のファンに対してもヒールを演じ切り、本心はファンに応援される事がとても嬉しかったが、サインや握手を求められても一切応じず、断る時も『暇じゃねぇ』などとわざと心にもないきつい言い方をして断っていたという。現在は極悪支部というファングループも全国各地にあり、昔とは違いファンサービスも喜んで応じていると語っている。
デビュー前から中村雅俊を『雅俊さま』と呼ぶほどの熱狂的な大ファンで、全女時代に対談で初めて中村に逢えた時は素に戻ってしまい緊張してしまってなかなか話せず、感動のあまり思わず泣いてしまった、と後日テレビ番組で語った。自宅には中村の直筆サインが入った二人の2ショット写真の大型パネルが飾られている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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