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ダライ・ラマ7世 : ミニ英和和英辞書
ダライ・ラマ7世[だらいらま7せい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラマ : [らま]
 【名詞】 1. (1) (Dalai) Lama 2. (2) llama 3. (P), (n) (1) (Dalai) Lama/(2) llama
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 

ダライ・ラマ7世 : ウィキペディア日本語版
ダライ・ラマ7世[だらいらま7せい]

ダライ・ラマ7世ケルサン・ギャツォ(、1708年 - 1757年)は、チベット仏教ゲルク派の有力な化身系譜であるダライ・ラマの7代目として認定された人物である。名はケルサンギャムツォ、ケルサン・ギャムツォ、ケルサン・ギャンツォとも表記される。チベット東部カム地方のリタン(現在の四川省理塘県)に生まれた。
ダライ・ラマ6世ツァンヤン・ギャツォの詩に「私は遠くへは行かない、リタンを回って戻ってくるから」というのがあり、それを根拠に転生者として認定された。1719年に清朝より冊封を受けた。
== ダライ・ラマ6世の廃位とその後継者たち ==
ダライ・ラマ6世は僧としての生活になじめず、1702年に沙弥戒の返上(還俗)を宣言し、ときおり市街で歌を作って楽しむなどしてチベットの民衆に親しまれた。しかしオイラトホシュート部を率いるラサン・ハーンは摂政サンギェ・ギャツォと対立し、1705年にラサに進軍すると、2年前に摂政を引退していたサンギェ・ギャツォを殺害、ダライ・ラマ6世の放蕩を口実にして翌1706年、6世を廃位した〔オイラトはチンギス系とは別のモンゴル系民族で、現在ではモンゴル族の一つとして扱われており、ホシュート部とはその一部族である(手塚 2010, p. 167)〕。同年、6世は北京へ向かう護送の途次で死去している。
後世のチベット人は、6世が次のような歌を書いて、自身がリタンに転生することを予言したと信じている〔「歴代ダライ・ラマ法王」ダライ・ラマ法王日本代表部事務所
チベット語の固有名詞については上記ウェブページでの表記をそのまま採用せず、山口瑞鳳(『チベット 上・下』)、石濱裕美子(『チベット歴史紀行』、チベット亡命政府文部省編『チベットの歴史と宗教』)、今枝由郎(デエ『チベット史』)、奥山直司(スネルグローヴら『チベット文化史』)、田中公明(『活仏たちのチベット』)による表記を参考に適宜改めた。また、区切らずにひとつながりで表記する研究者もいるが、ここでは意味上のまとまりを中黒で区切った。〕。

ホシュート部によるグシ・ハン王朝のは、デシー(摂政)のサンギェ・ギャツォと決裂し、デシーおよびかれの養育してきたダライ・ラマ6世ツァンヤン・ギャツォを排除することでの歓心を買う策に転じていた〔手塚 2010, pp. 173-187.〕〔グシ・ハン王朝の始祖グシ・ハーン(トゥルバイフ)は、熱心なダライ・ラマ(5世)の信者であり、グシ・ハーンによるチベット征服は宗教界再編を引き起こし、手塚利彰の主張するところでは「宗派と国家を超えたチベット仏教圏の最高権威としてのダライラマの誕生」をもたらした(手塚 2010, p. 167)。〕。ラサン・ハーンは代わりの「ダライ・ラマ6世」として1705年生まれの(1705年-1717年)を擁立し、清朝もイェシェー・ギャムツォに称号と印章を贈った〔。ラサン・ハーンは、中央チベットの地を押さえ、清朝の支持を得たことでチベット=ハンの権力を大いに増大させたものの、イェシェー・ギャムツォは必ずしもチベット人の支持を得られたわけではなかった。
一方、ラサン・ハーンによる一連の強硬な措置は、むしろきわめて強い一族内の反発を招いた〔。グシ・ハーンの傍系の一族たちは、ジュンガル部と結託してラサン・ハーンと対抗、そして死去していた6世の転生者としてリタン出身の少年がダライ・ラマとして擁立されたのである〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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