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タンガの戦い : ミニ英和和英辞書
タンガの戦い[たんがのたたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

タンガの戦い : ウィキペディア日本語版
タンガの戦い[たんがのたたかい]

タンガの戦い(たんがのたたかい、、時にハチの戦い()とあだ名される)は、第一次世界大戦中の1914年11月3日から5日にかけてイギリス領インド軍ドイツ領東アフリカ(のちのタンザニア大陸部、ルワンダおよびブルンジ)の都市タンガに上陸しようとして失敗した戦い。また、大戦中アフリカにおいて初めて発生した本格的な戦闘でもあった。
==背景==
イギリス領東アフリカ(のちのケニア)との国境から80kmしか離れていないタンガは船の通行量の多い港を抱え、この街からキリマンジャロへと伸びる重要なウサンバラ鉄道の発着駅でもあった。
第一次世界大戦が勃発すると、イギリス帝国はアフリカのドイツ植民地海上封鎖し、ドイツ領東アフリカに対する小規模の作戦に着手した。
当初イギリス帝国軍はタンガを艦砲射撃する計画でいたが、砲艦外交により、1914年8月17日、タンガが現地からの侵略を行わないことと引きかえに砲撃を行わないという協定を結んだため計画は放棄された。しかし、イギリスはその後その協定を破棄することと共に、アーサー・エイトケン少将に指揮させたイギリス領インド軍部隊「B遠征軍」8,000名をボンベイから東アフリカへ送ることを決めた。エイトケンはアフリカの黒人兵を過小評価しており作戦成功に自信を持っていた。タンガに向かう前、エイトケンらはイギリス領東アフリカのモンバサに短期停泊したが、その時現地の王立アフリカ小銃隊(:en:King's African Rifles; KAR、兵卒は現地黒人兵アスカリ)指揮官B.R.グレアム中佐が協力を申し出たのをエイトケンは断った。グレアムはドイツ軍アスカリを甘く見てはいけないと警告したが、エイトケンはそれに同意せずクリスマスまでには作戦は完了するだろうと語った。
エイトケンのB遠征軍8,000名のうちノースランカシャー連隊およびグルカ兵は軍隊としての能力を持っていたが、その他のインド兵部隊は訓練もろくに受けておらず、装備も貧弱だった。また、ボンベイからモンバサへの航海で兵士の士気は落ち込んでいた。エイトケンはモンバサに停泊した時に兵に上陸許可を出すよう提案されたとき、ドイツ軍に気づかれるという理由でそれを拒否した。しかしドイツ側はインドから東アフリカへ遠征軍が向かっているを既に知っていた。ボンベイ港のドックに積まれた木箱にはその行き先を示す札が貼られており、イギリスと東アフリカの報道はまもなく遠征軍が到着すると伝え、また、艦隊とモンバサの間では平文のままで通信が交わされていた。ドイツ軍植民地防衛隊(:en:Schutztruppe)指揮官パウル・フォン・レットウ=フォルベック大佐はドイツ領東アフリカ全土からタンガ守備隊(当初1個中隊)に増援を送り、その数は最終的に約1,000名になった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「タンガの戦い」の詳細全文を読む




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