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ソドム百二十日 : ミニ英和和英辞書
ソドム百二十日[にち, ひ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひゃく]
  1. (num) 100 2. hundred 
: [に]
  1. (num) two 
二十 : [はたち]
 【名詞】 1. (1) 20 years old 2. (2) 20th year 
二十日 : [はつか]
 【名詞】 1. twenty days 2. twentieth (day of the month) 
: [とお]
  1. (num) 10 2. ten 
十日 : [とおか]
 【名詞】 1. ten days 2. the tenth (day of the month) 
: [にち, ひ]
  1. (n-adv,n-t) sun 2. sunshine 3. day 

ソドム百二十日 ( リダイレクト:ソドム百二十日あるいは淫蕩学校 ) : ウィキペディア日本語版
ソドム百二十日あるいは淫蕩学校[そどむひゃくにじゅうにちあるいはいんとうがっこう]
ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』(〔プレイヤード叢書版によると「原稿では題名は数字で『ソドムの120日』と書かれていた。モーリス・エーヌ、ジブレ・レリやその他の註釈者の大部分もこの特殊な表記を忠実に尊重している。アニー・ル・ブリュンやジャン=ジャック・ポヴェールによる新版では(中略)表記の現代化のために文字に置き換えており、我々もこの表記を採用する。」(note 1 de la page 13 figurant page du tome I des ''Œuvres'' de Sade de la Bibliothèque de la Pléiade, 1990, 1363 pages, ISBN 2-07-011190-3.)〕)は1785年にマルキ・ド・サドバスティーユ牢獄で著した未完の小説である。サドの最初の本格的な作品であった。この作品は未完の状態でしか残っておらず、もしサドが1789年に原稿を紛失していなければ恐らく書き続けたであろう形では伝わっていない。ミシェル・デュロンが論じたように〔Michel Delon, ''Sade en son temps'', Éditions Textuel, 2007.〕、未完成なのではなく「想像力を超えたものを表現する」こと自体ができなかった可能性もある。
== 原稿の歴史 ==

1785年10月22日に、サドは作品の押収を避けるため、草稿のテクストを幅12センチの小紙片を糊付けして作った長さ12.1メートルの薄い巻紙の両面に、小さくぎっしり詰まった文字で清書して書き写した。この作業は37日間かけて、午後7時から10時の間に行われた。
1789年7月3日から4日にかけての夜、即席で作ったメガホンを使って壁の下に集まった群集を扇動しようとしたサドは、自身の言葉によると「蛆虫のように裸のままで」シャラントン精神病院へと連れ去られた。このため、彼はこの原稿を含む全ての私物をバスティーユに置き去りにせざるを得なかった。牢獄は陥落し、略奪・破壊され、サドは原稿も草稿も取り戻すことができなかった。このような作品の喪失はサドに、その言葉によると、「血の涙」を流させた。
ジルベール・ルリがバスティーユの侯爵当人の部屋からアルヌー・ド・サン=マキシミンによって発見された草稿の辿った道筋を再構成した。草稿はヴィルヌーヴ=トラン家が入手し、3代に亘り所有していた。19世紀末に草稿はベルリンの精神科医イヴァン・ブロッホへ売却され、ブロッホは1904年にオイゲン・デューレンの偽名で多数の転写ミスを含む最初の版を公刊した。
1929年にモーリス・エーヌシャルル・ド・ノアイユ子爵の委託を受け草稿を購入し1931年から1935年にかけて(検閲を避けるため「愛書家の購読者」限定で)出版し、その品質からこれが真正の原典版と考えられている。
1985年に、草稿は子爵の子孫によって売却され、ジュネーブの(主にエロティックな)稀覯書蒐集家であるジェラルド・ノルトマン(1930-1992)の手に渡った。草稿は2004年になって初めて、ジュネーブ近郊のマーチン・ボードマー基金〔Fondation Bodmer - La bibliothèque Gérard Nordmann, Éros invaincu'' 〕にて公開された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ソドム百二十日あるいは淫蕩学校」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 The 120 Days of Sodom 」があります。




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