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ジョン・ロスロップ・モトリー : ミニ英和和英辞書
ジョン・ロスロップ・モトリー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジョン・ロスロップ・モトリー : ウィキペディア日本語版
ジョン・ロスロップ・モトリー[ちょうおん]

ジョン・ロスロップ・モトリー(John Lothrop Motley, 1814年4月15日 - 1877年5月29日)は、アメリカ合衆国歴史家外交官
== 生涯 ==
1814年4月15日、モトリーはマサチューセッツ州ドーチェスターにおいて誕生した。モトリーはラウンド・ヒル・スクールボストン・ラテン・スクールで学び、1831年ハーバード大学を卒業した。モトリーは幼少時代はマサチューセッツ州デダムで過ごし、現在のノーブル・アンド・グリーノー・スクール近辺に居住していた。
モトリーはその後ハノーファー王国へ渡り、ゲッティンゲン大学で学んだ。モトリーはオットー・フォン・ビスマルクと知り合い、続いてベルリンフリードリヒ・ヴィルヘルム大学で学んだ。モトリーは1834年にアメリカへ帰国し、その後も法律の勉強を継続した。
1839年、モトリーは匿名で小説『Morton's Hope, or the Memoirs of a Provincial』を発表した。1841年、モトリーは外交官となり、ロシア帝国サンクトペテルブルク公使館で書記官となったが、わずか3ヶ月足らずで辞職した。モトリーはアメリカに帰国後、文筆生活に入った。さまざまな歴史論や評論をノース・アメリカン・レビュー誌に寄稿した。特に1849年に発表した『Polity of the Puritans』は大きく注目を集めた。モトリーはその一方で、小説『Merry Mount, a Romance of the Massachusetts Colony』も執筆した。
モトリーは1846年頃からオランダの歴史の研究を始め、特にネーデルラント連邦共和国時代について深く取り組んだ。モトリーはこの研究で大量の成果物を作成したが、次第にアメリカ国内で資料を集めるのが困難になっていった。1851年、モトリーは更なる研究のためヨーロッパへ渡り、ドレスデンブリュッセルハーグで5年にわたって資料収集をした。1856年、モトリーは研究成果を『The Rise of the Dutch Republic』として出版した。増刷を幾度も重ね、またフランス語オランダ語ドイツ語ロシア語にも翻訳された。1860年には上下2巻の『The United Netherlands』も出版した。これらの成果はいずれも大規模なものであり、モトリー独自の研究の成果を、具体化して残したものであった。1867年には更に別冊2巻を出版し、1609年の停戦までの歴史を詳しく記した。1861年南北戦争が開戦した際には、モトリーは合衆国に好意的なイギリスのタイムズ紙に2通の手記を評論した。それらの評論は後に合衆国内で『Causes of the Civil War in America』と題されたパンフレットにより頒布され、リンカーン大統領に好印象を与えた。
この評論により、モトリーは、1861年に駐オーストリア公使に指名された。モトリーは1867年に辞任するまで6年にわたって公使を務め、職務を成功裏に務めた。モトリーは続いて1869年に駐イギリス公使となったが、1870年末にグラント大統領により召還された。その後モトリーはしばらくの間オランダに滞在し、続いてイングランドに移り住んだ。モトリーは1874年に2巻の伝記『Life and Death of John Barneveld』を発表した。モトリーは病により次第に執筆活動ができなくなり、1877年5月29日ドーセット州ドーチェスターで死去した。モトリーの遺体はロンドン市内のケンサルグリーン墓地に埋葬された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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