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ジョムトーン・チュワタナ : ミニ英和和英辞書
ジョムトーン・チュワタナ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジョムトーン・チュワタナ : ウィキペディア日本語版
ジョムトーン・チュワタナ[ちょうおん]

ジョムトーン・チューワッタナ(、、男性、1989年7月28日 - )は、タイムエタイ選手、プロボクサーヤソートーン県出身。
ムエタイの二大殿堂王座の一つラジャダムナン・スタジアムの王座を14歳で初獲得すると、飛び級を含めて3階級制覇。フェザー級ライト級でもWBCムエタイ世界王座を獲得し、現在はウェルター級を主戦場とする。ムエタイでパコーン・P.K.セーンチャイムエタイジムに3連敗、ゴーンサックにパンチでダウンを奪われて敗れるなどトップ戦線で苦戦が続き始めたのを機にプロボクシングにも1階級下のスーパーフェザー級で並行参戦し、4戦目でOPBF東洋太平洋王座を獲得した。
ムエタイでの最大の武器は左ミドルキックであり、距離を取っての蹴り技が得意とするフィームースタイル。接近戦での首相撲の膝蹴りと肘打ちも駆使する。得意の蹴り技が禁止のボクシングルールでは圧力をかけて前進し続けて接近戦で殴り勝つ戦い方であり、ルールによって全く正反対の別人のようなファイトスタイルを使い分けている。「ムエタイの方がボクシングよりも好き」と語っている。
アンモーことチューチャルーン・ラウィーアラムウェンがプロモーター兼会長を務めているチュワタナジム所属。なおマッチメイクはチュワタナジムとゴーキャット・パニッチャヤロム氏(Mr.Kokiet Panichayarom)がプロモーター兼オーナーを務めるゴーキャットグループプロモーションズ(Kokiet group Promotions)の共同で行っている。

== 来歴 ==

=== ムエタイ・キックボクシング ===
2004年3月3日、14歳の若さでラジャダムナン・スタジアムバンタム級王座を獲得した。
2004年11月6日、北九州メディアドームで行われた「TITANS 1st」で菊地剛介(伊原道場)とK-1ルールで対戦し、3回判定勝ちを収めた。
2006年9月4日、ラジャダムナン・スタジアムでロナチャイ・ナラッリクンと対戦し、5回判定勝ちを収めWMC世界フェザー級王座を獲得した。
2006年11月16日、ラジャダムナン・スタジアムでアヌワット・ゲーオサムリットと対戦し、5回判定勝ちを収めラジャダムナンフェザー級王座を獲得、2階級制覇を達成した。
2007年10月11日、ルンピニー・スタジアムセンチャイ・ソー・キングスターと対戦し、5回判定負けを喫した。
2008年7月31日、ラジャダムナン・スタジアムでアヌワット・ゲーオサムリットと対戦し、5回判定勝ちを収めWBCムエタイ世界フェザー級王座を獲得した。
2009年8月6日、バンコクで行われたスック・ダウルン・チューチャルーン+ルンピニースーパーでノンオー・シットオーと対戦し、5回判定負けを喫した。
2009年11月28日、リヨンで行われたA-1 World Cup Combat Lyonでアルバート・チェイフランス)と対戦し、5回判定勝ちを収めWBCムエタイ世界フェザー級王座の初防衛に成功した。
2010年10月7日、ラジャダムナン・スタジアムでゴーンナコンバーン・ソー・キッルンローッラジャダムナンスーパーフェザー級王座決定戦を行い、5回判定勝ちを収めラジャダムナン王座の3階級制覇を果たした。
2011年1月31日、ラジャダムナン・スタジアムで行われたスック・ダウルン・チューチャルーンでトゥカタートーン・ペットパヤータイと対戦し、5回判定勝ちを収めラジャダムナンスーパーフェザー級王座の初防衛に成功した。
2011年3月31日、バンコクで行われたスック・ダウルン・チューチャルーン-ルンピニー For Tsunami Japanでノンオー・シットオーと対戦し、5回判定勝ちを収め2年前の雪辱を果たした。
2011年5月5日、ラジャダムナン・スタジアムで行われたスック・ダウルン・チューチャルーンでノンオー・ガイヤーンハーダオジムと対戦し、5回判定勝ちを収めノンオーとの3度目の対戦を制した。
2011年10月2日、後楽園ホールで行われたWBCムエタイ・ジャパン第2回大会 「The Path to the World Champion」で大和哲也(大和)と対戦し、5回判定勝ちを収めた。
2011年11月4日、バンコクスパチャラサイ国立競技場増田博正(スクランブル渋谷)とWBCムエタイ世界ライト級王座決定戦を行い、2回1分22秒TKO勝ちを収めWBCムエタイ王座の2階級制覇を果たした。
2012年6月9日、ノンタブリー県インパクト・アリーナイェトキン・オズクルトルコ)と対戦し、5回判定勝ちを収めWBCムエタイ世界ライト級王座の初防衛に成功した。
2014年3月29日、バンコクで行われた67kg契約MAXムエタイ4MANトーナメント決勝でマイク・300・デミトリウオーストラリア)と対戦し、2回TKO勝ちを収め優勝した。
2014年12月7日、バンコクで行われた67kg契約MAXムエタイ4MANトーナメント決勝でジンリートーン・スィートランスフェリーと対戦し、3回判定勝ちを収め優勝した。
2015年3月7日、鄭州で行われたWLF世界67kg級トーナメント準々決勝で敦冬旺中国)に3-0の判定勝ち。続く準決勝で邱建良中国)と対戦し、3-0の判定勝ちを収めて決勝に進出した。
2015年7月4日、鄭州で行われたWLF世界67kg級トーナメント決勝で杨蛼中国)と対戦し、4回判定負けを喫し惜しくも優勝を逃した。
2015年8月22日、廈門で行われたWLF2015で謝雷中国)と対戦し、3回判定勝ちを収めた。
2015年12月5日、スーパームエタイでセルゲイ・クリャバウクライナ)と67kg契約3回戦を行い、3-0の判定勝ちを収めた。
2016年1月23日、上海で行われたWLF2015で邓泽奇中国)と対戦し、初回KO勝ちを収めた。
2016年4月2日、深圳で行われたWLFGlory of Heroesで邱建良中国)と1年1ヵ月ぶりに再戦し、4回判定負けを喫した。
ムエタイの戦績は196勝37敗4分。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジョムトーン・チュワタナ」の詳細全文を読む




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