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ジャン・ボロトラ : ミニ英和和英辞書
ジャン・ボロトラ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ジャン・ボロトラ : ウィキペディア日本語版
ジャン・ボロトラ

ジャン・ボロトラJean Borotra, 1898年8月13日 - 1994年7月17日)は、フランスの男子テニス選手。ビアリッツ出身。同僚のフランス人選手ジャック・ブルニョン(1895年 - 1978年)、アンリ・コシェ(1901年 - 1987年)、ルネ・ラコステ(1904年 - 1996年)と並んで、フランスの「四銃士」(''Les Quatre Mousquetaires'')と呼ばれた。「四銃士」という呼び名は、アレクサンドル・デュマ・ペールの有名な小説『三銃士』(''Les Trois Mousquetaires'')にちなんでつけられたものである。ボロトラは当時のフランス人男性として、洗練された礼儀正しさの持ち主として人間的な評判も良かったという。
== 来歴 ==
ジャン・ボロトラは1922年から男子テニス国別対抗戦・デビスカップフランス代表選手に選ばれ、1923年からジャック・ブルニョンアンリ・コシェルネ・ラコステと並んでフランスの「四銃士」と呼ばれるようになった。1924年の全仏選手権ウィンブルドン選手権の2大会連続で、ボロトラとラコステがフランス勢同士の決勝を戦い、この年はボロトラが2連勝した。しかし、全仏選手権は1924年まで出場資格がフランス人選手のみに限定された大会だった。同選手権の公認優勝記録としては、国際大会になった1925年以後のものが記載されるため、ボロトラの全仏初優勝は現在の公認優勝記録には数えられない。1925年全仏選手権ウィンブルドン選手権の2大会連続で、ボロトラ対ラコステの決勝戦になったが、この年は両大会ともラコステが制覇し、ボロトラは大会連覇を逃した。1926年にボロトラはウィンブルドン選手権で2年ぶり2度目の優勝を飾ったが、それ以後のシングルスでは2度の準優勝で止まり、1927年1929年のウィンブルドン決勝ではアンリ・コシェに敗れた。1929年の全仏選手権決勝は、4年ぶり3度目の「ボロトラ対ラコステ」の対決で盛り上がり、ラコステが 6-3, 2-6, 6-0, 2-6, 8-6 の激戦でボロトラを破った。ところが、この優勝を最後にラコステは25歳の若さで突然の引退をしてしまい、「四銃士」としての活躍はここで途切れた。ラコステは後に、ポロシャツのブランド事業でも成功を収める。こうしてフランスの「四銃士」たちは、文字通り1920年代の男子テニス界を席巻した。
ジャン・ボロトラはダブルス選手として、ジャック・ブルニョンとのダブルスで抜群の強さを発揮した。ボロトラは4大大会の男子ダブルスでは、全豪選手権1勝(1928年)、全仏選手権5勝(1925年1928年1929年1934年1936年)、ウィンブルドン選手権では3勝(1925年1932年1933年)、総計「9勝」を記録した。1932年1933年のウィンブルドン選手権でボロトラ&ブルニョン組は大会2連覇を果たしたが、1933年のウィンブルドン・ダブルス決勝では日本佐藤次郎布井良助のペアと対戦する。佐藤と布井の組が第1セットを 6-4 で奪ったが、続く3セットをボロトラ&ブルニョン組が 6-3, 6-3, 7-5 で奪って2連覇を決めた。
1940年7月にはヴィシー政権のスポーツ・教育長官(commissaire général à l’Éducation générale et aux Sports)に就任するが、1942年4月にはフランソワ・ダルランらと共に解任される。同年11月、ゲシュタポによって逮捕され、オーストリアの収容所に送られた。1945年、イッター城の戦いを経て解放。この戦いの中では、彼自身も銃を取り戦った。
1974年、「四銃士」の物語がアメリカの映画監督リチャード・レスターにより映画化された。レスターは前年の1973年にデュマの小説『三銃士』の映画化を行い、それに続いて1920年代-1930年代前半に活躍した4人のフランス人テニス選手のドキュメンタリーも残したのである。
1976年、「四銃士」のメンバーたちは4人揃って国際テニス殿堂入りを果たす。4人とも長寿に恵まれたが、ボロトラが最も長生きし、1994年7月17日に95歳の生涯を閉じた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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