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ジャラールッディーン・ムハンマド・シャー : ミニ英和和英辞書
ジャラールッディーン・ムハンマド・シャー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジャラールッディーン・ムハンマド・シャー : ウィキペディア日本語版
ジャラールッディーン・ムハンマド・シャー[ちょうおん]

ジャラールッディーン・ムハンマド・シャー(Jalaluddin Muhammad Shah, 生年不詳 - 1433年)は、東インドベンガル・スルターン朝ラージャ・ガネーシャ朝の君主(在位:1418年 - 1433年)。もともとの名をヤドゥ(Yadu)あるいは ジャドゥ(Jadu)といった〔Stan Goron and J.P. Goenka: ''The Coins of the Indian Sultanates'' New Delhi: Munshiram Manoharlal, 2001.〕。
==生涯==
1418年、父王ラージャ・ガネーシャが死亡した。彼は前王朝イリヤース・シャーヒー朝からの簒奪者であり、なおかつヒンドゥー教徒であった〔堀口『世界歴史叢書 バングラデシュの歴史』、p.58〕〔堀口『世界歴史叢書 バングラデシュの歴史』、p.58〕。そのため、ムスリムの有力者らは彼の息子がイスラーム教に改宗することを条件にその王位を認めていた〔堀口『世界歴史叢書 バングラデシュの歴史』、p.58〕。
後継者たる息子のヤドゥは父王の死後、約束通りにヒンドゥー教からイスラーム教に改宗した。その際にジャラールッディーン・ムハンマド・シャーと名を改めた〔堀口『世界歴史叢書 バングラデシュの歴史』、p.58〕〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.131〕。
ムハンマド・シャーは改宗後、熱烈なイスラーム教徒となり、それを証明するために「スルターン」、「アミール」、「アラーのカリフ」(''Khalifat Allah'')自称した〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.158〕〔MA Taher, Jalaluddin Muhammad Shah , Banglapedia: The National Encyclopedia of Bangladesh, Asiatic Society of Bangladesh, Dhaka, Retrieved: 2011-04-26〕。また、メッカマドラサを寄進したり、マムルーク朝にいたアッバース朝カリフから認証状を求めたりするなど、正統性を確保しようとした〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.131〕。その行動は同時代の西アジアの史料にも記されている〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.131〕。
ムハンマド・シャーはその公平さで知られ、軍司令官や裁判長にヒンドゥーを割り当てるなど、ムスリムとヒンドゥー教徒を差別なく平等に扱った〔堀口『世界歴史叢書 バングラデシュの歴史』、p.58〕。
また、その代にベンガル・スルターン朝の領土は広まり、父王と同様にジャウンプルと争い、チッタゴンファリードプルなどを得て、南ビハールまで版図とした〔堀口『世界歴史叢書 バングラデシュの歴史』、p.58〕。
ムハンマド・シャーはかつてのギヤースッディーン・アーザム・シャー同様、明に使者を送り朝貢し、ティムール朝シャー・ルフやマムルーク朝とも使節を交換するなど〔、国際的にも広い視野を持っていたことで知られる〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.131〕〔堀口『世界歴史叢書 バングラデシュの歴史』、p.58〕。明側の記録には1420年に彼が入貢したことが記されており、「榜葛国頭目」の「者刺里丁」と記されている〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.131〕。
1433年、ムハンマド・シャーは死亡し、息子シャムスッディーン・アフマド・シャーが王位を継承した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジャラールッディーン・ムハンマド・シャー」の詳細全文を読む




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