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サンタクロースっていないんですよ : ミニ英和和英辞書
サンタクロースっていないんですよ[さんたくろーす]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

サンタクロース : [さんたくろーす]
 【名詞】 1. Santa Claus 2. (n) Santa Claus
ロース : [ろーす]
 【名詞】 1. (abbr) roast 2. roasting meat 3. sirloin 4. pork loin 5. (P), (n) (abbr) roast/roasting meat/sirloin/pork loin
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
です : [です]
 (aux) polite copula in Japanese

サンタクロースっていないんですよ ( リダイレクト:矢川澄子 ) : ウィキペディア日本語版
矢川澄子[やがわ すみこ]

矢川 澄子(やがわ すみこ 1930年7月27日 - 2002年5月29日)は日本作家詩人翻訳家。早くから天才少女として注目され、没後は「不滅の少女」と呼ばれた。
== 来歴・人物 ==
教育学者矢川徳光の五人姉妹の次女として東京府北豊島郡王子町大字王子312番地(現・東京都北区王子)に生まれ、生後まもなく、東京府北豊島郡高田町雑司ヶ谷7丁目1117番地(現・東京都豊島区雑司が谷)に転居。園児としてキリスト教系の幼稚園で過ごす〔矢川澄子『いづくへか』(筑摩書房)〕。高田第五尋常小学校(現在の目白小学校)1年の時、1938年1月、東京市世田谷区新町に転居。深沢尋常小学校(現・世田谷区立深沢小学校)に転入。1943年、府立第十一高等女学校(現・東京都立桜町高等学校)に入学。1948年、同校を5年で卒業し、旧制の東京女子大学外国語科(後の英文科、当時は3年制)に入学、1951年に卒業。岩波書店の社外校正者を経て、1953年9月、新制学習院大学英文科3年に後期から編入学するも、まもなく独文科に転じ、関泰祐教授に師事。1954年同人誌「未定」に参加。1955年3月、学習院大学独文学科卒業。同年4月、東京大学文学部美学美術史学科に学士入学したが1958年に中退。この間、1955年4月、岩波書店校正室のアルバイトで知り合った澁澤龍彦と交際を始める。澁澤の初対面の印象を矢川は「なんと鼻の高い色白の美少年が入ってきた」と語っている〔。矢川の最初の男性となったのも澁澤であった〔矢川澄子「一九五X年・夏」〕。当時、3年余りにわたって澁澤から送られた手紙を矢川は晩年も大事に保存していたが、公表はされていない〔。
1959年1月、澁澤龍彦と結婚。鎌倉市小町に住む。当時の心境について後年「ほんとに実家に見切りをつけて、親に背いて一人でふらふらしてるうちに、こんないい家族にめぐり会えたと思って、とっても嬉しかった。澁澤の母も大好きだったし。いまでも、あの苦労を共にした戦友みたいに思えるの」〔と語っている。結核で正業に就けない澁澤のため、看護婦代わりに献身的に尽くしていた〔。このころ、澁澤の要求で4度にわたって妊娠中絶を行い、その結果、子供を産めない体となった〔矢川澄子『兎とよばれた女』〕。みずからも妻に繰り返し妊娠中絶させていた埴谷雄高は自己批判をこめて「武田(泰淳)も澁澤も、本当に女房に対してはだめな男。僕の世代は本当にだめですよ。男性横暴で威張っている」「僕の女房も、百合子さんも矢川さんも本当にかわいそうだと思う」〔『五木寛之対談集──正統的異端』〕と発言している。松山俊太郎は、矢川が「子供を産みたいと思ったことはなかった」と言ってみたり「産みたかった」と言ってみたり態度が一貫しなかった点を捉え、矢川のことも批判している〔。このほか、澁澤は娼婦との妻妾同衾を矢川に要求したことがあると自ら認めている(丸山明宏との対談における澁澤の発言)。
1964年2月には、澁澤の新居の建設用地を澁澤の母とともに探し歩き、北鎌倉の借地を発見・契約している。1966年8月、新居落成に伴って澁澤と共に鎌倉市山ノ内へ転居。同年、矢川の下訳に基づく澁澤訳「O嬢の物語」(ポーリーヌ・レアージュ)が刊行される。この年、グスタフ・ルネ・ホッケの『迷宮としての世界』を種村季弘との共訳で美術出版社から上梓。
1968年4月、澁澤と協議離婚。離婚の原因については、俳人加藤郁乎と矢川との不倫が関わっていたとも言われている〔加藤郁乎『後方見聞録』〕。酒席で澁澤と加藤が矢川に向かって「どっちがいい男か」と選択を迫ることもあった〔。澁澤の側も浮気をしており、そのことは澁澤の母も知っていたが、矢川が自分から家を出たことに対しては、澁澤の顔をつぶす行為として澁澤の母から許されなかった〔。澁澤の母はまた、澁澤の文名が上がってからは、貧困時代の澁澤家の思い出に矢川が言及することで澁澤のイメージが傷つくのを大変気にしていた〔。高橋たか子によると、澁澤は「澄子がいなくなった」と大声で泣いていたという〔。また矢川は谷川雁と結婚するのだと幸せな顔で、谷川の子供を生むことを楽しみにしていた、という〔。矢川が出奔するにあたっては、埴谷雄高の唆しがあったらしいと高橋は記している〔。
しかしその後、澁澤との離婚の意志につき谷川から誤解を受けたことが原因で、谷川との関係が破局を迎えた。谷川について矢川は後年「プラスの部分のスケールも大きいけれども、マイナス面のスケールも桁外れ」〔と評している。
離婚後は澁澤から、かつて二人で撮影したツーショットをことごとく鋏で真っ二つに切断されて送りつけられるという嫌がらせを受けた〔。また、離婚時には一切の財産分与を受けられなかった〔『ユリイカ』2002年10月臨時増刊号 総特集=矢川澄子 不滅の少女〕。この点を澁澤は松山俊太郎から問い質され「だって澄子はそれでいいって言ってたんだろ」と言った〔。矢川は「澁澤のために惜しむのよ」と言いつつ、「少し財産分与をしてくれたら、今まで孝行できなかった老いた二親にも少しは孝行できるから」〔とも言っていた。
東京都世田谷区赤堤に転居した後も澁澤と過ごした「鎌倉に戻りたい」と考え、当時東京都立大学に勤務していた種村季弘の研究室を毎日のように訪れて相談したが〔種村季弘『雨の日はソファで散歩』(筑摩書房2005年)〕
、結局その願いは叶わなかった。38歳にして自活を余儀なくされるようになったため、旧友の堀内路子の紹介で福音館書店松居直と会い、ヤーノシュ『おばけリンゴ』を翻訳。1969年に同書を福音館書店から刊行し、文筆生活に入る。以後、英仏独の翻訳家としても活躍。
1980年、谷川の招きで信州黒姫山長野県上水内郡信濃町)に移住。矢川は谷川を「神様」と呼ぶほどに崇拝していた〔松本輝夫『谷川雁 永久工作者の言霊』平凡社新書、205p〕。1987年、死去直前の澁澤を病院に見舞った際「もう一度だけ、おにいちゃんとよばせてね」と澁澤にささやいた〔矢川澄子『おにいちゃん』〕。このころは澁澤の母と和解し、澁澤の通夜にも出席した。
1989年から日本ファンタジーノベル大賞の選考委員を務める。1997年の鼎談では、池田香代子から「矢川さんはいまだに澁澤さんに惚れてる」と言われて「そう」と肯定し、「一度も澁澤を嫌いになったことがないんですよ」「結果的にはどうであれ、人生の一時期にしんじつ好きなひとのために生きたということは、めったにない幸せでね。その意味で私、とてもよかったと思ってるの。たのしい思い出だけ残ってるって感じ。いやなことなんて、すぐ忘れちゃうわよ」〔『正論』1997年2月号。〕と発言している。この間、1996年8月、高橋たか子は黒姫の矢川宅に2泊したとき「たか子さん、自死ということを考えない?」と矢川から質問されている〔。また2001年には、松山俊太郎が矢川から「死にたい」との言葉を聞いている〔。
2002年5月29日朝、黒姫の自宅で縊死しているのが宅配便の配達人に発見される。扉は施錠されず、原マスミの音楽のカセットテープがリピートしていた。死の前日、原マスミや知久寿焼など知人たちに挨拶の電話をしていた〔。「すべての妹たちへ」と題する遺書が残されていたが、内容は遺族の意向により公表されていない。
姉はチェロ奏者井上頼豊と結婚。甥の井上鑑、義姪のやまがたすみこは共にミュージシャン。妹の小池一子武蔵野美術大学造形学部教授。
ミュージシャン知久寿焼(元たま)とも交流があったことが知られ、1999年刊行の絵本「だるまさん千字文」では知久が挿絵を担当した。2001年発売のアルバム「しょぼたま」は矢川自宅にて収録されたものである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「矢川澄子」の詳細全文を読む




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