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ゴクハン・サキ ( リダイレクト:グーカン・サキ ) : ウィキペディア日本語版
グーカン・サキ

グーカン・サキ(本名: ギョクハン・サキ Gökhan Saki、男性、1983年10月18日 - )は、オランダスキーダム出身のキックボクサーマイクスジム/チーム・レベル所属。GLORYライトヘビー級世界トーナメント2014優勝。初代GLORY世界ライトヘビー級王者。
両親はトルコ人であるが、移民としてオランダに移っており、自身はオランダで出生した。オランダとトルコの2つの国籍を持つ。尊敬する選手はトルコ出身のラモン・デッカー、好きな選手はエメリヤーエンコ・ヒョードル独占インタビュー:グーカン・サキ 2009年8月1日 ''ヤフー!コリア'' ブログ「かかとおとし」による日本語訳 〕。また、サキ自身もトルコで高い人気を誇り、サキのK-1での試合がテレビで放送された際には1800万人の視聴者を獲得し、サキが出場したGLORYイスタンブール大会は1万2千人収容のウルケル・スポーツアリーナが超満員となっている〔【GLORY15】イスタンブールでLH級T。スポーン×サキ実現も MMAPLANET 2014年1月29日〕。
K-1初参戦のアムステルダム大会ではゴクハン・サキ(トルコ語元来の発音に近い表記)、ゴーカン・サキと表記されていたが、2007年のK-1 WORLD GP 2007 IN YOKOHAMAからはグーカン・サキと表記されるようになった。
「K-1ヘビー級最速」と評されるほどのスピードを誇り、強烈な破壊力とスピードを兼ね備えたローキック、回転の速いフック系のパンチ、ヘビー級の中では182cmと低い身長でありながら上段の後ろ回し蹴り、バックブローを得意とする。「The Rebel(ザ・レベル、反逆者)」の異名が示す通り、たとえ自分よりも大きな相手でも常に前へ出ていく強気なインファイトが持ち味。また、日本ではそのスピードの速さから「トルコの稲妻」「トルコの雷帝」という異名が付いている。95kg以下級では世界最強と評価されており、2010年以降は体重上限無しの最重量級でも世界トップクラスに君臨している。
サッカーオランダ代表選手ヴェスレイ・スナイデルは課題だったコンディション不良を克服すべく、サキに弟子入りしてキックボクシングの練習を取り入れた事で復活を果たし、現在もお互いをサポートし合っている〔スナイデル復活の陰にK−1戦士の支え コンディションを万全に戻しブラジルへ スポーツナビ 2014年6月3日〕。
== 来歴 ==
ロッテルダムの近郊に位置するスキーダムという町の大家族のもとに生まれ、ブルース・リージャン=クロード・ヴァンダムの映画の影響で幼少期から格闘技に興味を持っていた。友人らに影響される形でキックボクシングを始め、11歳の頃から本格的に訓練を行なうようになった。家庭の事情から14歳で学校を辞め、キックボクシングと平行して学んでいたサッカーを16歳の時に中断。以来キックボクシング一本とした〔グーカン・サキの下克上 「新しい世代の台頭は今」 K-1公式サイト 2008年9月16日〕。
2006年5月13日、K-1 WORLD GP 2006 IN AMSTERDAMにてK-1初参戦。EUROPE GPのリザーブファイトでラニ・ベルバーチに判定勝ち、その後メルヴィン・マヌーフの負傷棄権により準決勝でアレクセイ・イグナショフを終始攻め続け判定勝ち、決勝ではビヨン・ブレギーに1RKO負け。準優勝となった。
2007年3月4日、K-1 WORLD GP 2007 IN YOKOHAMAでは天田ヒロミローキックで攻め続け、2RTKO勝ちを収めた。
2007年11月2日、K-1 Turkey Grand Prix 2007 in Istanbulでマゴメド・マゴメドフと対戦。1Rに左ストレートでダウンを奪い判定勝ち。試合直後にマゴメドフの足を蹴ったことから、双方のセコンドを巻き込んだ大乱闘騒ぎを起こした。
2008年5月31日、オランダで開催されたBeast of the Eastでイワン・ジェーンと対戦し、1RKO勝ち。
2008年8月9日、K-1 WORLD GP 2008 IN HAWAIIのUSA GPに出場。1回戦でドゥシュ・プーに1RKO勝ち、準決勝でリック・チークに1RKO勝ち、決勝でランディ・キムに2RKO勝ちし優勝を果たし、グランプリ出場を決めた。
2008年9月27日、K-1 WORLD GP 2008 IN SEOUL FINAL16レイ・セフォーと対戦し、判定勝ち。
2008年12月6日、K-1 WORLD GP 2008 FINALの準々決勝ではルスラン・カラエフと対戦。「K-1ヘビー級最速王決定戦」と評されたこの試合でバックハンドブローでダウンを奪い判定勝ち。準決勝でレミー・ボンヤスキーにKO負け。
2009年3月28日、K-1 WORLD GP 2009 IN YOKOHAMAの第2代K-1ヘビー級王者決定トーナメントに出場。1回戦でタイロン・スポーンと互角の接戦を繰り広げて延長戦の末にKO勝ちする。続く決勝では1回戦を1RKO勝ちしてきた前田慶次郎(現・藤本京太郎)と対戦し、スポーン戦でダメージを負った足を攻められ、延長戦で0-2の判定負けを喫した。
2009年8月2日、K-1 WORLD GP 2009 IN SEOUL -ASIA GP-のスーパーファイトでパベル・ズラフリオフと対戦。1R途中で脚を負傷し自らダウン。その後、3Rを戦い抜いたが、ダウンが影響する形で判定負けとなった〔K-1 WORLD GP 2009 IN SEOUL -ASIA GP- 第9試合 K-1公式サイト〕。この負傷の影響で前年ベスト8で出場権利のあった開幕戦出場を辞退した〔[K-1] 武蔵、9票差で落選も復活当選。初戦はバンナと BoutReview 2009年9月1日〕。
2009年12月5日、K-1 WORLD GP 2009 FINALのリザーブファイトでピーター・アーツに右ストレートでダウンを奪われ0-3の判定負け。
2010年5月29日、IT'S SHOWTIMEでメルヴィン・マヌーフと対戦し、KO勝ちした。
2010年10月2日、K-1 WORLD GP 2010 IN SEOUL FINAL16に推薦枠として出場。フレディ・ケマイヨと戦い、1RKO勝ち。2週間後の10月16日、United GLORYのKickboxing World Series 2010-2011の1回戦でニコライ・ファリンと対戦し、左ボディフックでKO勝ちを収めた〔【GLORY】サキが異次元の強さで準決勝進出へ MMAPLANET 2010年10月17日〕。
2010年12月11日、K-1 WORLD GP 2010 FINALの準々決勝でダニエル・ギタと対戦し、両者ともに死力を尽くす壮絶な死闘となり、延長戦の末に判定勝ち。続く準決勝でアリスター・オーフレイムと対戦し、試合開始早々に右バックキックでダウン気味のスリップを奪うが、ギタ戦で既に痛めていた右腕に左ミドルキックを浴びて右肘を骨折し、1RKO負け。
2011年3月19日、United GLORYのKickboxing World Series 2010-2011の2回戦でウェンデル・ロチェに判定勝ち。
2011年5月28日、United GLORYのKickboxing World Series 2010-2011の決勝戦でブリース・ギドンに判定勝ちで優勝。
2012年1月28日、It's Showtime 55にてバダ・ハリのキックボクシング引退試合の相手を務め、1RTKO負け。
その後、所属するジムをゴールデン・グローリーからマイクスジムに移籍。なお、マイクスジム移籍後もゴールデン・グローリーとの友好関係は継続しており、現在もゴールデン・グローリー公式Facebookと公式YouTubeにサキ関連のニュースがたびたびUPされている。
5月26日、GLORYの正式な旗揚げ戦となったGLORY 1 Stockholmでカーター・ウィリアムスに1RKO勝ち。試合後、サキは「試合時間が短すぎて、僕には良いことだけど、ファンには申し訳なかった」とコメントした〔【Glory】69秒KO勝ちのサキ、「短すぎて――」とファンに謝罪 MMAPLANET 2012年5月27日〕。
10月6日、GLORY 2 Brusselsにてムラッド・ボウジディに判定勝ち〔【Glory02】予想通りの強さを見せたグーカン・サキが、判定勝ち MMAPLANET 2012年10月7日〕。
12月31日、DREAM.18 & GLORY 4でのGLORY GRAND SLAM ヘビー級世界トーナメント 2012に参戦し、1回戦で羅王丸に1RKO勝ち。2回戦でアンダーソン・ブラドック・シルバに1RKO勝ち。準々決勝でセーム・シュルトと対戦し、大巨人シュルトとの圧倒的な体格差をモノともせずに勇猛果敢に攻め込んでシュルトを追い詰めるも僅差の判定負け。敗れはしたものの、試合後に観客からスタンディングオベーションを浴びて大善戦を称えられた〔【GLORY】ヘビー級トーナメントはシュルトの圧勝劇! e-fight 2012年12月31日〕。
2013年4月6日、GLORY 6 Istanbulにてダニエル・ギタと再戦し、2RTKO勝ち〔グーカン・サキが地元トルコでKO勝利=グローリー スポーツナビ 2013年4月8日〕。ただし、レフェリーを務めたヨーブ・ウベタがこの試合を含めた長年に渡るレフェリング・ミスが問題視され、この試合を最後にウベタはGLORYのレフェリーを解雇・追放された。
10月12日、GLORY 11 ChicagoのGLORYヘビー級世界トーナメント1回戦にてリコ・ベホーベンと対戦し、開始早々のサキのスリップをレフェリーがダウンと誤審。激怒したサキはレフェリーを突き飛ばして猛抗議するが裁定は覆らず、その後は互角の戦いを繰り広げたものの、誤審のダウンが響いて大番狂わせの0-2の判定負け。試合後のリング上でのインタビューでリコ自身も「あのダウンには驚いた」と語っていた〔リコ、親友対決制してヘビー級王座奪取 GLORYシカゴ大会結果リポート 2 スポーツナビ 2013年10月13日〕。翌月、サキ陣営はこの誤審に対して弁護士を通して正式に抗議することを発表。その翌日に追加説明として「この抗議は民事訴訟ではない。それにリコ戦の判定と勝敗結果を覆せというわけではないし、リコのことは素直に称えたい。ただ、あれは明らかな誤審なのだから、そのことは認められるべきだし、ルールをもっと厳格に適用すべきだ。レフェリーが試合中に不適切な判断をすると選手はガックリしてモチベーションが下がって態度も悪くなってしまうものだ。自分もレフェリーを突き飛ばした事は反省するが、そうなったのは完全な誤審をしたレフェリーに原因があり、処罰されるべきだ」と声明を発表した〔〕。
2014年になるとオランダからドバイへと移住。
4月21日、階級を95kg以下のライトヘビー級に落として、GLORY 15 IstanbulでのGLORY世界ライトヘビー級トーナメント2014に参戦し、1回戦でネイサン・コーベットに1RTKO勝ち。決勝でタイロン・スポーンと対戦し、スポーンの右ローキックを膝でブロックすると、スポーンが右脛を骨折し、TKO勝ちで優勝を収めた。長年に渡って95kg級世界トップ二強に君臨してきたスポーンとコーベットに連勝してキャリア初のメジャー団体世界王座獲得を母国で達成したものの、レフェリーが試合をストップするよりも先にスポーンの異変に気付いたサキは優勝を喜ぶよりも骨折したスポーンを真っ先に抱きかかえて励まして気遣うなど、表情にあまり笑みはなかった〔サキvs.スポーンは衝撃の結末に 「グローリー」イスタンブール大会結果 スポーツナビ 2014年4月14日〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「グーカン・サキ」の詳細全文を読む




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