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天田ヒロミ : ミニ英和和英辞書
天田ヒロミ[あまだ ひろみ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [てん]
 【名詞】 1. heaven 2. sky 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 

天田ヒロミ : ウィキペディア日本語版
天田ヒロミ[あまだ ひろみ]

天田 ヒロミ(あまだ ひろみ、男性、1973年5月10日 - )は、日本キックボクサー。本名は天田 広美群馬県群馬郡群馬町(現・高崎市)出身。天田フィジカル&ボクシングスクール所属。家族は妻と2男1女。
アマチュアボクシング(ライトミドル級)出身で、パンチを主体とした戦いをする。
== 来歴 ==
10代の頃は暴走族に所属していたが、前橋育英高校アマチュアボクシングと出会い更生(暴走族所属時代の写真が、天田の紹介VTRで必ずと言っていい程公開される)。高校時代には国体で優勝しており、中央大学ではボクシング部の主将を務めた。全日本アマチュアボクシング選手権大会でライトミドル級の常連、1993年伊藤辰史にRSC勝ちし1996年優勝。

アマチュアボクシングでの通算戦歴は102戦86勝16敗。

大学卒業前にK-1からスカウトされ、プロ格闘家となる。
K-1に参戦した当初は、体重も軽かったため、なかなか結果を出せなかった。
2000年にはK-1 JAPAN GPで準優勝。世界の壁の厚さに苦しみながらもK-1 JAPANの期待の選手と成長。
2003年11月3日、新日本プロレス柴田勝頼とK-1ルールで対戦。1R早々にダウンを喫するも、その後猛攻を加えて、KO勝利を収めた。
2004年のK-1 JAPAN GP 2004では優勝を果たし、誕生したばかりの双子の息子、虎汰郎、虎次郎をリングに上げる。その後、勝利を収めたときの恒例行事となる。
2005年のJAPAN GPでは肋骨骨折により1回戦敗退。
2006年7月30日、K-1 REVENGE 2006 K-1 WORLD GP 2006 in SAPPOROでは、ハリッド"ディ・ファウスト"と対戦予定だったがハリッドが負傷したため対戦相手がフレディ・ケマイヨに変更。そのケマイヨに判定勝ち。
2007年3月4日、K-1 WORLD GP 2007 IN YOKOHAMAでは札幌大会で対戦予定だったハリッド"ディ・ファウスト"との対戦が決定するも、来日してから高熱が続いたため、ドクターストップ。対戦相手がグーカン・サキに変更される。試合は、サキの執拗なまでのローキックで2R終盤にスタンディングダウン、終了時にその場に倒れ込み、何とかコーナーに戻るもタオルが投入されTKO負け。
2007年5月に放映されたテレビ朝日系「GET SPORTS」の密着取材により、一度引退を決意し、2005年に格闘家活動続行にも理解のある不動産会社に就職していたが、2007年に経営悪化により半ば倒産状態になり社員契約解除となった。今後も現役選手を続けながら将来的にトレーナーを目指す意向とのことで、活動に理解のある再就職先を探しながらの格闘技活動であることが初めて公にされた。
2007年6月23日、K-1 WORLD GP 2007 IN AMSTERDAMでヨーロッパ・トーナメントに参戦。1回戦でポール・スロウィンスキーと対戦し、左ローキックでKO負け。
2007年10月25日午前3時半頃、東京都荒川区にて、アルバイト先から自転車で帰宅中、車道を並走のトラックに幅寄せされたと思い、信号待ちの際に注意。しかし応答がなく無視されたと思い、立腹して運転手を殴打。傷害容疑で書類送検された。本人は酩酊状態であった。のちに被害者との示談が成立し、K-1からは出場停止処分を受けた〔【K-1】中近東、ロシア、ブラジル…ワールドカップ構想を語る 格闘技ウェブマガジンGBR 2008年1月30日〕。
2008年3月9日、新日本キックボクシング協会「MAGNUM 16」でスウィーン・カーオ(タイ)の代わりにルスラン・カラエフと対戦。3Rに右膝蹴りでKO負け。計5回のダウンを奪われた。出場発表されたのが、大会の休憩時間中という緊急参戦であった。
2008年12月14日、初参戦となったHEATでこの日より開幕したキックルール ヘビー級トーナメントに出場。1回戦でプリンス・アリと対戦し、タオル投入によるTKO勝ち。
2009年3月28日、HEAT 9のトーナメント準決勝でムーン・ボーラムと対戦し、判定勝ち。
2009年7月18日、HEAT 10のトーナメント決勝で上原誠と対戦し、判定勝ちを収めHEATキックルール ヘビー級王座を獲得した。
2010年1月17日、新日本キックボクシング協会「BRAVE HEARTS 13」で内田ノボルの引退試合(2分1Rのエキシビションマッチ)の相手を務めた〔【新日本キック】蘇我英樹、菊地兄を退け初防衛!K-1甲子園王者・雄大はランカーとドロー 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年1月17日〕。
2010年7月18日、HEAT 14で行なわれたHEATキックルール ヘビー級タイトルマッチでムーン・ボーラムと対戦し、1RTKO勝ちで王座の初防衛に成功した。当初は富平辰文との防衛戦が予定されていたが、富平の負傷欠場により対戦相手が変更された〔【HEAT】天田がTKO勝ちで王座防衛!新美が第2代ウェルター級王者に 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年7月18日〕。
2010年8月25日、BOXFIGHT旗揚げ戦のメインイベントでプロボクサー経験者の須藤信充と対戦し、右フックでKO勝ちを収めた〔【ボックスファイト】天田ヒロミが須藤信充を豪快KO!高瀬大樹はダウン奪われ判定負け 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年8月25日〕。
2010年12月1日、Fujiwara Festival 〜藤原祭り2010〜のWPMF日本ヘビー級王座決定戦でKOICHIと対戦し、0-3の判定負けを喫し王座獲得ならず〔【藤原祭り】駿太が前田尚紀に劇的な逆転勝利!藤原あらしは元ムエタイ2冠王に惜敗 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年12月1日〕。
2011年3月13日、HEAT17で行なわれたHEATキックルール ヘビー級タイトルマッチで富平辰文と対戦し、序盤からパンチでペースを握りローキックをきかされるも手を休めず攻め続け2-0の判定勝ちを収め防衛に成功した〔【HEAT】天田、ザノリニが王座防衛!ア・ソルはライト級王座を返上 格闘技ウェブマガジンGBR 2011年3月13日〕。
2012年7月14日、大阪府立体育会館にて開催された GENOME 21 にてIGF初参戦を果たし、キックルールマッチにて角谷正義を1R2分3秒でKO。
2012年9月29日、愛知県体育館にて開催された GENOME 22 にて師匠であるピーター・アーツとタッグを組み、初のプロレスリングルールマッチに挑戦。
2012年10月14日、両国国技館で開催された K-1 WORLD GP Final 16 に参戦。上原誠に判定負けを喫する。
2012年12月31日、両国国技館で開催された INOKI BOM-BA-YE 2012 に参戦。プロレスリングルールにてレイ・セフォーとタッグを組む。
2013年9月28日、愛知県体育館にて開催された GENOME 28 にてプロレスリングルールにて小川直也とシングルマッチにて初対決。
2013年11月3日、大阪府のはびきのコロセアムにて開催された チャクリキ ファイティング カーニバル 2013に参戦。ノブ・ハヤシの特別公開スパーリングの相手を務める。
2013年11月17日、熊本県の益城町総合体育館メインアリーナにて開催された LEGEND 4 に参戦。大会セミファイナルにて主催者のMr.神風に判定勝ち。同大会メインイベントは西島洋介の引退試合。
2013年12月31日、両国国技館にて開催された INOKI BOM-BA-YE 2013 に参戦。自身初となるキック&MMAミックスルールに挑む。
2014年1月25日、前年9月13日に再審議で無効試合となった因縁のRISEヘビー級王座挑戦者決定戦の羅王丸との再戦に判定勝利を収め、王座挑戦権を獲得する。
2014年4月11日、長女の志乃誕生。
2014年4月29日、RISE99のメインイベントにてヘビー級王座に挑戦。1〜3Rまでパンチを主体にペースを握るも、3Rにカウンターのハイキックを喰らいTKO負け。
2014年7月13日、福岡国際センターにて開催された GENOME30 に参戦。プロレスリングルールにてジェロム・レ・バンナと初タッグ結成。
2014年8月2日、ノブ・ハヤシと組んで「キングオブコント2014」に参戦。初戦敗退となるも、コントで会場を沸かせた。
2014年12月13日、中国広東省佛山市の佛山岭南明珠体育館にて開催された「搏击王者佛山争霸赛」に日本選手団のエースとして参戦。大会メインイベントで張暢と戦った。
2015年1月31日、石垣島での初の国際格闘技大会「武勇伝」にてMr.神風と再戦し3-0の判定勝ち。相手のMr.神風は同年11月15日に急逝し、これが生前最後の試合となった。
2015年3月15日、ドージョーチャクリキ・ジャパンの主催大会「CHAKURIKI 1」のメインイベントを務め、池田強宏を2R KOした。
2015年4月18日、「SHOOT BOXING 2015 act.2」後楽園ホール大会にてシュートボクシングに初参戦。
2015年7月20日、「火の国格闘伝説 LEGEND 6」ANAクラウンプラザホテル熊本ニュースカイ大会に参戦。異種格闘技戦ルールでプロレスラーの松崎和彦をボディブローでKO。
2015年12月19日、新団体MATの旗揚げ戦メインイベントにて工藤勇樹から3ダウンを奪い、ジャッジ3者とも〔30-25〕の判定圧勝にて大会を締める。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「天田ヒロミ」の詳細全文を読む




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